2011年12月31日土曜日

冬コミ会場より

準備万端です。


2011年12月24日土曜日

クリスマスプレゼント:かたわ少女既刊同人誌 PDF公開


メリークリスマス!

翻訳チームのものです。

Four Leaf Studiosと日本語訳チーム共同で、みなさんにクリスマスプレゼントをお届けします。これまでに発行された同人誌「かたわ少女プレイヤーズガイド」と「夏の欠片」のPDFファイルを公開いたします。

なお、いずれの本にも原作ゲームと同様、クリエイティブコモンズBY-NC-ND(表示-非営利-改編禁止)が適用されます。

3冊目の同人誌「冬至 - Midwinter」についても、2012年の3月中旬に公開を予定しています。一刻も早く印刷された本を読みたい、という方はぜひ冬コミに足を運んでいただければと思います。(PDFはファイルサイズの都合で解像度を落としていますが、実際の印刷は超美麗です。)

Four Leaf Studios、Suriko氏からのコメントは以下の通りです。

「コミケ参加に関わる作業、同人誌の編集と印刷、参加者コメントの翻訳など、日本語訳チームの多くの尽力により、PDFを公開できることになりました。4LSより皆さんに深くお礼申し上げます。開発者/ファンを問わず寄稿してくれたイラストレーターの方々にも感謝いたします。」

それはともかく、同人誌のダウンロードリンクはこちらです。メリークリスマス、そして良いお年を!

かたわ少女プレイヤーズガイド(日本語版)
夏の欠片(日本語版)
夏の欠片(日本語英語版)

2011年12月17日土曜日

かたわ少女完全版 2012年1月4日リリース




かたわ少女完全版は2012年1月4日にリリースします。

もちろん2012年は2011年ではありませんが、その点はお詫びしたいと思います。1月4日という日付は、4chan掲示板の/a/板トップにこのプロジェクトの発端となるスレが固定された日でした。その日から5周年となる記念の日が、完全版のリリース日となります。

完成まで我慢強く待ってくれた皆さん、特にゲーム開発に協力してくれた方々にお礼を申し上げます。長い道のりでしたが、ようやく終わりが近づいてきました。

2011年12月4日日曜日

【告知】冬コミに参加します


さきほど無事入稿が終わったので、お知らせです。

「かたわ少女日本語訳プロジェクト」が冬コミに当選しました。
場所は 土曜日 東地区 "ペ" ブロック 15a (東5ホール)になります。

新刊は前回と同じく、B5サイズ・20Pのフルカラーイラスト本です。
(追記)頒価は400円を予定しています。

開発チーム・Shimmie常連の方々に寄稿いただきました。
(今回は諸事情により、海外のアーティストの方のみとなっています)

「冬至~Midwinter」というタイトルで、前回とは対照的に冬がテーマです。



夏コミの既刊「夏の欠片」も持参いたしますので、まだお持ちでない方もぜひお立ち寄りください。

2011年11月14日月曜日

しずうううううん


こんにちはMoekkiです。今日は静音について書きますよ。静音の絵を描くのはとっても楽しいです。彼女のデザイン作業をしていたおかげで、自分のスタイルもすごく上達したと思います!

図で描くとこうです。



とにかく、古い順に行きます:

A) RAITAの最初のデザイン。名無しの誰かによる彩色です。この絵には静音のデザインの要素がたくさん描かれていますが、緑がかった青色の髪は直後に没になりました。見た目が汚いし、ミクにしか似合わないからです。

B) 2007年、プロジェクトが始まってから初めてゲームに採用されたデザイン。おそらくRAITAの絵よりも、その後のデザインに大きな影響を与えました。

C) うっわああああなんてひどい絵! 私がプロジェクトに入った直後の絵です。超ヘタクソですね。でも静音のデザインのほとんどはここで確定しています。

D) これを描いた覚えはないんですが、私のKSフォルダに入っていました。これはKamifishに凹まされる前の停滞期の絵です。ほとんどの絵師は5ヶ月くらい何もしていませんでした。Hideakiのようにツインアホ毛をつけようとした覚えがありますが、幸い実現することはありませんでした。当時も静音の「砂時計」体型を描こうとして苦労していました。

E) 今のデザインです。この1年でこれだけ上達できたことになんだか感心しちゃいます! このデザインについては何もコンセプト画を描いたりしていないので、萌えっ娘女子高生にコンセプト画なんて意味なしと判断されました。ゼッタイ・リョウイキが見いだされましたが、上出来です。

未来!) だいたい同じですが、時間がたつにつれて前髪が徐々にネコミミっぽくなっています。

VCRのゲスト絵です。


ありがとう、おやすみなさい。

XOXO Moekki

(追伸:つまりディレクションが終わったってことです)

2011年11月7日月曜日

Act1の翻訳裏話


翻訳チームのものです。

最近は開発ブログ本家でもあまり更新がないので、Act1の翻訳について、どのようなことに気を付けたか、どういう経緯があったか、等の裏話など書いてみることにします。

今回は翻訳された文章そのものについて書いていますが、翻訳プロセスについてはまた別の機会にご紹介したいと思います。

「この文章の原文はどうだったのか」みたいなご質問がもしあれば、コメント欄までお願いします。



■キャラ同士の呼び方について


英語では親しい他人の名前を呼ぶ際は基本的に下の名前を呼びます。いわゆる敬称が英語には存在しないため、これを機械的に日本語に直すと互いの距離感がめちゃくちゃになってしまいます。そのため、キャラ同士の親しさの度合いはおおむね「君づけ・さんづけ」の有無で表現することになります。


訳すにあたって互いの呼び方が分からないと話にならない、ということで一通り原文を読み込んだ後にキャラ同士の呼び方表を作成。開発陣にレビューしてもらってから微調整しました。
開発側によれば晃さんが関西弁をしゃべるという初期設定があったのですが、翻訳チーム側で手に負えない気がしたので標準語にしました。

(転校生をいきなり「久夫くん」って呼ぶのも考えてみれば変な気がするけど。ふつう「中井くん」じゃないか……まあそこはスルーで。)

で、リリース版での久夫の呼ばれ方を振り返ってみると

  • 静音、琳:久夫
  • ミーシャ:ひっちゃん
  • 笑美、華子:久夫くん
  • リリー:久夫さん

原文を読んだうえで、翻訳チーム内で議論しつつ、割と感覚的にこのような呼び方に決めました。
ただし、原文ではいずれの呼び方も"Hisao"であり、ミーシャを除けばキャラごとに違いはありません。くん付けさん付けからさらに親しくなって呼び捨てになる、といった距離感の変化は今のままでは表現できないわけです。やるとしたら、それは翻訳者による勝手な解釈になるので、私個人は否定的です。果たしてそのような展開が完全版ではあるだろうか、それはやってもいいことなのだろうか、と心配しています。気の早い話ですが。自分は個人的には逸脱だと思うのですが、難しいところです。

華子ルートではそういう展開がもしかしたらあるんじゃないか、と勝手に予想していますが、さてどうなりますかね。
何分Act1の内容だけで訳しているので、ルート完了までのことまで見通した訳出ができない、というのが困難なところです。


■各キャラについて

久夫

一人称(僕俺私)を決めるところでいきなりみんなで悩みましたが、「結構ぶっきらぼうな感じだし、俺にしないか」ということで落ち着きました。年頃の高校生男子の、ちょっとだけいきがってる感じを出したいと思いました。

高校生の割には、地の文でかなり複雑な心理描写が多いのが苦労したところでした。


静音

静音自身の言葉が直接画面に出ることはほとんどありません。なので訳出においては無難な形にとどめていますが、いくつかポイントを述べるとこうです。

  • 静音ルート木曜日の「……わたしたちの期待を裏切ったのよ、久夫」>ミーシャが「久夫」と呼び捨てするのはこのときだけ。違和感を覚えたので開発陣に聞いたら、「ここはミーシャを『通じて』静音が直接話している」という回答だった。
  • 手書きのメモ>妙な勝負ばかり仕掛けてくるキャラなので、ちょっとお茶目っぽく勝ち誇る感じを出してみたつもり


ミーシャ

筆者は静音とミーシャを最初に担当したので、訳についても自分の好みが結構入っています。なんとなく第一印象で「だよだよ星人」にしてしまいました。何かとフリーダムなミーシャの話し方は訳していて楽しかったです。脳内キャスティングではある声優の声が当たっているのだけど、それは余談。

ミーシャのセリフと、通訳された静音のセリフの見分け方。事前に静音の「……」がある場合、直後のミーシャのセリフは通訳されたものである可能性が高いです。また、通訳されたセリフの口調はミーシャの通常の話し方とは意図的に変えてあります。それでも時折分からない部分があって、万策尽きたときは開発陣に問い合わせるなどしていました。

フォーラムで「ミーシャのセリフの『~』はどういう意味なの?」というスレ(http://ks.renai.us/viewtopic.php?f=13&t=3314)が立っていて、確かに英語しか知らないとわからないよな、と思いました。(長音記号があって、それを波打たせることで抑揚があることを表現する、という)

華子

担当の方がいい感じに引っ込み思案な女の子の雰囲気を再現してくれました。どもりの表現などは基本的に原文に合わせています。比較的悩まずにすんだキャラでした。
最初はですます調だけど、だんだん自分を出していって自然な話し方をするようになるんじゃないか、と思っています。

リリー

お嬢様的な雰囲気は当初から明らかでしたが、どういう案配で出していくかは当初試行錯誤がありました。
昔の華族みたいなしゃべり方か、ステレオタイプ的良家のお嬢様か、といろいろ主張が錯綜する中、口調よりも物腰の丁寧さで表現するような形に落ち着きました。マリみての雰囲気が近いと思います。
晃さんと話すときには砕けた話し方になるのがちょっとしたひねりになっています。



琳は間違いなく、全キャラ中最強の難物でした。(2位は健二。)脈絡なく繰り出される奇抜なセリフの数々には大変悩まされたし、英語でないと通じない言葉遊びや、非常に意味の取りづらいセリフが多数ありました。チーム総出で相当がんばったけど、見る人が見れば、結構苦しい訳をしている部分が分かるのではないかと思います。
キャラの性格に合わせて、しゃべり方も浮世離れというか飄々とした口調での訳出になりました。個人的にはブギーポップのイメージが重なっています。(ごく初期にボクっ娘じゃないかという話も翻訳チーム内にあったのですが、やめておきました。)

笑美

こちらはあまりひねったセリフは多くなく、シンプルな文章だったので訳出は楽な方だったと思います。押しの強くて元気な子はいいですね。

健二

琳ほどではないけど、こちらも相当へんてこで長回しなセリフが多く、自然な訳出をするのにとても苦労しました。パラノイアの思考について行くのは大変です。

晃さん

黒のパンツスーツを着ているところからもわかるように、原文でも男性的な雰囲気を強く出しているキャラなので、口調も中性的にしてみました。関西弁にはしなくて良かったと思っています。

ナース

彼は英語でもNurseというキャラ名になっており、開発チームより「呼称の際はかならず『ナース』と表記し、翻訳はしないこと」と指定がされています。笑美はナースくんと呼びますが、これも開発側指定によります。
これがのちの伏線となるのかどうか、興味深いところです。

その他サブキャラ(優子さん、先生方)は特筆するほどのエピソードはないため割愛します。

今後も新キャラが出てくると思われるので、翻訳者としては楽しみにしています。

2011年10月27日木曜日

琳ルートのディレクション完了

琳ルートのディレクションがついに完了しました。というわけで、最後から2番目のヒロイン絵の振り返りをしましょう。



琳の絵はRAITAのオリジナルデザインから大きくかけ離れることはありませんでした。その楽な姿勢に彼女の性格が表れています。おおざっぱに切った短い髪形は、これまでの琳の過去のプロトタイプデザインのほとんど、そして最終的にゲームで採用されたイラストでも見ることができます。Kamifishが琳ルートの絵師として参加したことで、彼女の非常に美しいラインワークとスケッチの才能によって、当初から琳のデザインは非常にぶれの少ないものになりました。

RAITAの絵に比べて最も顕著な二つの違いは、琳の髪型がおかっぱからぼさぼさの短髪になったことと、スカートがズボンになったことです。最初の変更は2008年に現在の絵師の大半 - Moekki, Weee, Gebyy, Kamifish - が揃って、新しいキャラデザインに取り掛かり始めた後のことでした。このころ、Auraは絵師たちに、琳の外見に磨きをかける一番いい方法を考えつくという課題を出しました。絵師たちがそれぞれ、木にもたれかかって眠る琳の絵を描くというものです。琳なら自然にやりそうだと思われる行動を描くことで、彼女の行動にもっともふさわしいデザインが生み出せるというわけです。結果的に、Weeeのイメージからいくつかの要素が琳の外見に組み込まれました。後頭部の髪はすこしぼさぼさした感じに外に広がり、耳が見えるように前髪と後ろの髪が分離されました。

琳の制服がブラウスとスカートから男子の制服シャツとズボンに変更されたのは、基本的に彼女にとっての実用性の問題です。琳は足で絵を描くので、ズボンを着ていれば下着を見られることがない、という単純な話です。ブラウスが男子用シャツに変わったのは主にズボンに合わせるためという外見上の理由です。ちなみに琳は普段、靴よりもサンダルを履きます。ものを動かしたりつかんだりするためにすぐに足を出せるのと、裸足になるために足を汚すのを避けるためです。琳の衣類について「でも琳はどうやって……」で始まるその他の質問については、今でもその答えは「笑美」です。

以上、琳のイラストでした。近日公開予定の、最後のヒロイン・静音の振り返りをお楽しみに!

 - Suriko

2011年9月21日水曜日

KS開発の5つの段階


第1段階:興奮


「やったあ!」

KSの開発は最高だ。実際マジで、すげー面白いんだ。他の人と一緒に自分を役立てるって言うのはすばらしい趣味だよな。そこについてくるものはもろもろ全部、たとえばKSを取り巻く一大コミュニティとか、コミケみたいなイベントへの出展は、全部おまけみたいなもんだ。4LSの人たちが好きだし、彼らとしゃべったり論じあったり、一緒に作業をしたりするのが好きだ。あっちも自分のことを気に入ってくれていると思う。少なくともほとんどの間は。時には、一歩引いて「うわ、俺たち本当にこんなことしてるんだ」と実感する。それがものすごくやる気を奮い立たせるんだ。

第2段階:いらだち


「古いルートが……」

KSの開発は難しい。いろんなことを片付けるために、まるで筋の通らないたくさんの障害を乗り越えなくてはならなかった。自分達が立てた目標は完全に非現実的で、そこにたどり着くまでに時間をかけすぎている。KS開発中にボツにした素材の量は、完成品に含まれる素材の量を越えるだろう。こんな風に状況はめちゃくちゃになるのか、と何度も驚かされた。こういうことがあると、みんなひどく消耗する。でもこれはビジュアルノベル開発という狂気への転落の始まりにすぎない。

第3段階:絶望

「アヘ顔描いてあげるからシナリオ書いてよー!」

KS開発は苦痛だ。俺たちみんな、想像を絶するバカみたいな苦しみをこのプロジェクトで受けるはめになった。しかもその多くは自分で招き入れたものだ。こっちはいかなる意味でも、メンテの行き届いた機械じゃないんだ。時には全然回らない歯車が出てくることもある。4LSというエンジンをきちんと動かし続けるのは、常に上り坂の戦いだ。そこには予期しないことも、ケンカも、哀願も、脅迫も賄賂もある。そういう戦いをしなくてはいけない人は、時にはとんでもなく長い時間をかけることもある。ほんとのことを言っても、誰も信じないと思う 。

第4段階:軽蔑



「怒」

KS開発は本当に最悪だ。誰にだって、これ以上はもうやってられないという一線がある。最後の麦わらが一本背中に乗ったら折れてしまう、という。こういうストレスへの反応は人それぞれだ。A22は床の上でゴロゴロ転がるし、deltaは叫びまくるし、等々。しかし私たちはプロフェッショナルなので、大体こういうことは早々に乗り越えて、次の段階に移るのだった…

第5段階:受容



KS開発にはそれだけの価値がある。でなければ何年も前に放り投げていただろう。芸術的価値が疑わしいだの、障害者のポルノVNだの、ファンのみんなの崇拝と怒りだの、プロジェクトが築き上げた巨大だが未開拓の可能性だの、そんなの全部知ったことか。困難な目標に向かって、これだけ長い間一緒にやってきたこと、それだけでも価値のあることだ。それに気づいたとき、最高の気分になる。少なくとも、プロジェクトがまた自分のタマか卵巣にケリを入れるときが来るまでは。絶対そうなるから安心して欲しい。ここでのオチは、一度第5段階に達したあなたは、この幸福なステージにとどまることはない、ということだろう。残念だけど、第1段階に逆戻りだ。そしてサイクルがまた始まる。何度も、何度も、何度も。

-Aura

2011年9月17日土曜日

スキルギャップ


まず最初に、ご覧の通り最近はブログの更新がありません。主に私のせいです。ごめん。でもだからといって、私が1か月くらいブログで愚痴をたれていないってだけでフォーラムにスパムじみた書き込みをしまくるのはよくないですね。落ち着いて待っていてください。私たちはベストを尽くしています。


時々、自分がこのブログをどうしたいのか、さっぱりわからなくなることがある。このブログの永遠の問題だ。私が書いた記事のほとんど(というか、このブログの記事ほとんどだけど)は、うわべだけでしか繋がっていない、とりとめのない物思いの類いでしかない。実際は、そういうとりとめない雑談はIRCでさんざんやっている。なのでブログを書く意欲は、それだけの言葉を読みたいと言う、どこかにいるはずの誰かの気持ちに依存する。自分達がこのブログ執筆をうまくできていると言う実感はまるでない。自分達のやり方では、更新頻度も記事の範囲も、とてもへんてこになってしまうからだ。というわけで読者たるあなたに問いたい。このブログでどんな記事を読みたいのか? プロジェクトの進捗という言わずもがなのネタは対象外として。理由は今までにも述べた通り。当てにならないとか、色々とね。

まあ、それはともかく。

本当に書きたかったことは、記事のタイトルに込められている。スキルギャップというのは、「よい創作物」とは何かという自分なりの展望と、実際の自分のアウトプットとの差のことだ。スキルギャップは常に存在する。自分のやっていることが間違っているんじゃないかという苦しみの中に。苦心して作った作品を投げ捨ててやり直したいと思う衝動の中に。自分よりも才能ある人を見たときに感じるかもしれない嫉妬の中に。あなたがクリエイティブな人物なら、何らかの形でこの気持ちと向き合わなくてはならない。

スキルギャップは人がクリエイターとして成長するにしたがって、大きくなったり小さくなったりする。学び、分析し、考えていくほどに、上限は上に上がり、ギャップは広がる。ひたすら鍛練に鍛練を重ねれば、それだけアウトプットの質が上がり、ギャップは縮まる。

自分自身について言えば、自分のスキルギャップを認知することはとても不愉快な不安に繋がる。そもそも物書きというのは、単語や熟語や慣用句や引用によって、思考を現実世界に描き出すことだ。その中には他のものより優れているものもある。でも自分の書いたものが、当人の想像の中にあるものに匹敵しうる、という人はどこにもいないと思う。私だってそんなものは書けない。この記事を読んでいる皆さんが、私が本当に思い描いた物語、琳と久夫と、二人の間に起こる諸々の出来事を読むことは決してない。実際に目にするのは私がキーボードの上にどうにか吐き出すことができた、粗雑な翻訳物でしかない。このことに気づいて、少し悲しみを覚える。いろいろ考えてみれば、私のスキルギャップは広いし、それが私にもたらす影響も同じくらい広範囲にわたる。私は自分のテキストをたくさん見直すし、何度も何度も繰り返して書くし、書けなくなってしまいがちだし、等々。一語一語が戦いなのだ。

自分とは正反対に、deltaはおそらく4LSの中で一番スキルギャップが狭い。彼は担当する作業の腕がとてつもなくいいのだけど、作業の性質上、彼は自分のポテンシャルの上限に非常に近いところに居続けることができる。自分たちライターや絵師は自分の能力のみに制約を受けるが、deltaはそれ以外にも制約を受けている。使っているエンジンの制約とか、チームが作り出せる資産(アセット)の量とか。さらに、こちらには何百万もの芸術作品や文学作品という比較対象があるけど、ビジュアルノベルについてはそう多くない。deltaの本当の能力の限界はわかってさえいないかもしれないが、スキルギャップが内的な性質に限られないことはわかるだろう。

スキルギャップによる不安に対処する方法として、「無理矢理ねじ伏せる」よりも良い方法、というか他に方法なんてあるのかどうかわからない。とにかく自分の好きな媒体を選んで、最高のものを作ろうとし続ければいい。そして自分が客観的に見て、とても下手だという事実にへこまなければいい。始めるときは特にそうだが、自分の限界を認めることはいつだって重要だ。どんな作業であれ、それ以上質を良くしようとしても意味がないという決断がどこかで必要になる。「もう十分だ」と自分に言い聞かせるのは間違ったことじゃない。ヘタクソであることを恐れてはいけない。だってある意味では、あなたは永遠にヘタクソなのだから。(非現実的なことを信じるように自分をだましているのでなければね)自分の欠点を正直に認めて、うまくなるために必死に努力することが、クリエイターとして成長するための道なのだ。

4LSでの最後のネタはweeeだ。彼女の腕前はかなり良いとたいていの人が思っている。実際その通りだ。ただ、彼女の過去の絵を見てみるといい。私たちがKSを作り始めたとき、weeeはそこまで上手じゃなかった。当時のmoekkiやkamifishのほうがずっと上手だったことに、本人もちょっと落胆していたのだった。でもどうだろう。weeeは絵を描くこととKSにこだわり続けて、たった数年後にあんなに上手になった。weeeは自分の才能を本当の意味で伸ばして見せ、それとともにすばらしい絵描きになった。

ここで肝心なことは、良いクリエイティブな人となるには、自分自身を理解しないといけない、ということだと思う。自分自身を誠実に見ることができれば(そして自分のヘタクソぶりという真実にガッカリせずにいられれば)、それこそたくさんの成長に至る道があなたの前に開けるのだ。

- Aura

2011年9月16日金曜日

「これは文字通りに受け取っていただきたい」


訳:

おちつけ

そして

がんばれ

(画像を直す手間がとれずすみません。)

2011年8月21日日曜日

夏コミ参加レポート&コミティア97再告知

遅くなりましたが、夏コミにてスペースにお越しいただいた皆様、ありがとうございました。
おかげさまで当日は大変な盛況でした。既刊のプレイヤーズガイド&体験版CDは完売、イラスト本も200冊以上を頒布しました。想像を超える反響に非常に驚いています。

プレイヤーズガイド・体験版については残部が少なく、開始後早々に完売してしまいました。完売後もお問い合わせが多く、ご購入いただけなかった皆様にはご迷惑をおかけしました。(プレスCDはとても制作費が高くてかさばるので、あまりたくさんは作れないのです……)

プレイヤーズガイドのデータ配布については引き続き検討しますので、続報をお待ちいただければ幸いです。

冬コミには申し込みの予定です。新刊については開発側と調整中ですが、進展があり次第ブログにてお伝えします。




当日につき、コミティア97参加について再度告知いたします。

スペース そ01a(東5ホール)にて、「かたわ少女日本語訳PJ」で参加しています。
上記の通り、イラスト本「夏の欠片」を持参いたします。まだ十分な在庫がありますので、お求めいただければと思います。

近くにお越しの際は是非お立ち寄りください。

2011年8月13日土曜日

2011年8月9日火曜日

【再告知】夏コミ新刊について&本が届きました

夏コミ(2日目)まで残り5日となりました。再度参加告知させていただきます。

サークル名「かたわ少女日本語訳プロジェクト」で夏コミに参加いたします。
スペースは 8/13 土曜日 東地区 "Y" ブロック 01b になります。

新刊はすでにご案内したとおりですが、フルカラーイラスト本「夏の欠片」となります。
B5 20ページ 頒価300円の予定です。

既刊の「かたわ少女プレイヤーズガイド」と、体験版CDも持参いたします。部数が限られていますので、完売の際はどうぞご容赦ください。




夏コミの新刊が届きましたので、写真でプレビューをお届けします。



夏らしいさわやかな仕上がりとなっています。かたわ少女ファンなら必見のラインアップですので、ぜひスペースまでお越しいただければと思います。


また、会場に来られない遠地の方や海外の方に向けてデータ配布の可能性も検討しております。詳細については続報をお待ちください。

2011年7月25日月曜日

コミティア97に参加します/夏の新刊について

夏コミに続きまして、8/21開催のコミティア97に参加が決定しましたのでお知らせします。

スペース番号は「そ01a」です。夏コミの新刊と、在庫が残っていればプレイヤーズガイド&体験版を持参の予定です。

日程上夏コミに行けないという方は、この機会に手にとっていただければと思います。




本日夏コミ向けの新刊を入稿しました。



「夏の欠片」と題した、B5サイズ、20Pのフルカラーイラスト本となります。

「かたわ少女と夏」というテーマで、様々な方々からいただいたイラストを収録しています。前回のブログ記事でお知らせした参加者に加え、日本からも4名の方にご参加いただきました。国内・海外のファンアーティストのコラボレーションとしては、かたわ少女史上初となるかと思います。

ご興味のある方は、ぜひスペースまでお越しいただければと思います。

2011年6月16日木曜日

夏コミ新刊:参加者の方々

翻訳チームです。

開発チームより、参加されるイラストレーターのリストをいただいたのでこちらに公開します。(順不同、敬称略)

  • moekki
  • weee
  • pimmy
  • climatic
  • Aura
  • doomfest
  • mikeinel
  • charmwitch
  • vcr
  • konflikti

どちらも開発スタッフ、またはファンアートの常連の方々です。shimmieやdeviantArt等で名前を見つけることができると思います。どうぞご期待ください。

日本からの参加については現在も募集しております。
2011/06/22 追記:参加は締め切らせていただきました。ありがとうございました。

2011年6月13日月曜日

華子のCGが完成(更新:琳も終わりました)

華子のCGが全て完成しました。関わってくれた全てのイラストレーターの皆さん、特に華子ルートの担当であるWeee、おめでとう。



追記: おっと! もう一つ完了したんだけど、その場では告知されなかった件があります。お知らせするのを忘れていました。

琳のCGも完成しました。

Kamifishと琳ルートを手伝ってくれたイラストレーターの皆さん、おめでとう。

2011年6月12日日曜日

夏コミ新刊について

夏コミについて開発チームに打診したところ、「フルカラーイラスト本を出したい」との回答があり、現在準備を行っています。
現時点で開発メンバー・Shimmie常連を含め8名の参加が確定しているとのことです。編集・頒布は前回同様日本語訳プロジェクトが行います

Aura氏を始め開発チームのみなさんも、かたわ少女コミケ初参加ということで大変楽しみにされているとのことです。詳細は随時ブログにてご報告しますが、ファンのみなさまもどうぞご期待ください。

日本からのご寄稿についても打診を考えていますが、Pixiv等検索してもあまり数が多くなく、難儀しています。
ご関心のある方はksjpproject at gmail dot comまでご連絡いただければと思います。

よろしくお願いいたします。

2011年6月4日土曜日

【速報】夏コミに出ます

ご無沙汰しています。
「かたわ少女日本語訳プロジェクト」が夏コミに当選しましたので、お知らせします。
場所は 土曜日 東地区 "Y" ブロック 01b になります。

新刊については現時点では未定となっています。
既刊の「かたわ少女プレイヤーズガイド」および体験版プレスCDを
持参する予定ですので、まだお持ちでない方はぜひお立ち寄りください。

2011年5月7日土曜日

コミティア96参加レポート

遅くなりましたが、コミティアにてスペースにお越しいただいた皆様、ありがとうございました。
多くの方に手に取っていただき、私たちも大変心強く思いました。

コミティアスタッフの方もにもお買い上げいただきました。これまで思っていたより知名度は高いことがわかって驚きました。

箱一杯のCD……


当日のスペースはこんな感じでした。ディスプレイもあれやこれやと工夫しています。
開催時間が約5時間あるので、動画を流しっぱなしにするとPCの電池が持ちませんね……

売り子のかたのPCと交代して終了まで持たせました。

現地から速報も上げようと思ったのですが、通信事情が悪くてうまく記事や写真をアップできませんでした。残念。





残部数がかなり少ないため、次に夏コミに受かれば売り切れるくらいかと思います。そのため書店委託については現状では難しいです。遠地の方には大変申し訳ありません。完売後に何らかの対応ができればと考えています。

今後の展開については未定ですが、ここからかたわ少女が広まって面白い展開ができるとうれしく思います。

これからも翻訳プロジェクトをよろしくお願いいたします。

2011年5月3日火曜日

CDができました

翻訳チームです。

体験版のCDが届いたので、告知もかねてお披露目します。

通常はこのようになります。



ジャケットはリバーシブルなので、パッケージを開くとこうなります。CDレーベルもかわいらしいデザインです。


ジャケットを裏返すとこのように英語バージョンになります。


本の方は当日搬入のため、私も現地入りするまでお預けです……

ご来場予定の皆様もどうぞお楽しみに!

2011年4月19日火曜日

コミティア96(5/5) 参加のお知らせ

CDジャケット(表)

同人誌表紙

翻訳チームからのお知らせです。

5月5日開催のコミティア96(東京ビッグサイト)に、かたわ少女日本語訳プロジェクトとしてサークル参加いたします。スペース番号はた12aです。

出展物は以下の通りです。

1. かたわ少女体験版CD

Act1V4(Win/Mac/Linux各インストーラ)を収録したCDです。特別デザインのジャケット絵付きトールケースのパッケージとなります。

ジャケットは日本語版、英語版のリバーシブル仕様となっています。(英語版ジャケット、レーベルデザインはdelta氏にご寄稿いただきました。)

製作期間の都合で先にV5がリリースされてしまいましたが、どうぞご了承ください。日本国内向けには問題ないかと思います。

2. かたわ少女プレイヤーズガイド

かたわ少女の始まりからFour Leaf Studios結成、体験版リリース、そして日本語訳リリースまでに至る、これまでの足跡を概観するガイドブック的な同人誌(B5, 20P)です。

上記の文章に加えて、Aura氏による序文、Four Leaf Studiosのイラストレーター各氏によるカバーイラスト・全ヒロインの描き下ろしイラストを収録しています。必見です。

頒価はCD・同人誌合わせて500円の予定です。


かたわ少女完全版のリリースまでしばらく時間が空く中、翻訳プロジェクトによる日本国内でのプロモーションを行いたいと思い、今回のCD・同人誌作成に至りました。

普段より開発者ブログ等をフォローしてくださっている方にはおなじみの内容が多いかも知れませんが、記念品またはファンアイテムとしてご覧いただければ幸いです。

また、かたわ少女を初めてプレイされるという方には導入としてちょうど良いかと思います。


よろしければどうぞスペースまでお立ち寄りください。


今後に関しては一応コミケに申し込み済みです。進展は随時、当ブログにてお知らせしていきます。


これをきっかけに国内でもかたわ少女の同人誌が増えたりすることを密かに期待しています……

2011年4月16日土曜日

かたわ少女 Act 1 v5 リリース!



KS翻訳チームがどれだけサイコーか、言ったことありましたっけ?

かたわ少女Act1 V5では3つの新しい翻訳が追加されました。ロシア語Honyaku-Subs提供)、ドイツ語ハンガリー語です。これにより現存する翻訳プロジェクトの完成率は結構いい数字になりました。そしてAct1は8つの言語、9つの異なるローカリゼーションが行われたことになります。非常にすごいことです。

V5への追加要素は3つの新しいローカリゼーションのみとなります。これまでのバージョンで遊んだことがあって、これらの言語を理解しない方には推奨されません。英語およびその他の言語について、いくつかの誤記やエラーの訂正が行われていますが、微々たるものです。全バージョンの変更点一覧についてはchangelogをご覧ください。みなさんがこのリリースを楽しんでくださることを、そして3つの翻訳チームのプロジェクト完遂を温かく祝ってくださることを願っています。

以下のリンクからAct1 V5をダウンロードしてください。

直接ダウンロード:
Torrent:

これまで同様、このリリースは過去のリリースを置き換えます。新しいtorrentのシード支援をお願いします。また、ホスティングについて支援してくれたDavisに深く感謝します。

2011年4月10日日曜日

神の言葉

みんな「公式」が大好きだ。少なくとも、ある作品についてネット上で議論したがるほど入れ込んでいる人たちはそうだ。そして確かに、議論の余地なく公式なコンテンツに何かを追加していくのが一番いいに違いない。それが原典なのだし、良いものが一つあるより、良いものがたくさんある方がいいに決まっている。その追加分が公式でないなら、それは「本当には起きていない」のであって、残念ながらそれ故に価値がない……そうだろう? 実は私個人はそう思っていないけど(ここまで読めばわかるよね)、このブログ記事の主旨はそこじゃない。

何のことかというと、うちの掲示板のこのスレッドに不機嫌丸出しのレスを衝動的に書き込んでしまった。そのあとになって考えた--どうしてみんな「神の言葉」をそんなに気にするのか? 確かに私の態度は良くなかった*けど、「俺たちは(略)釣りネタかましたり、ウソついたり、気が変わったり、その場の思いつきをしたりすることで有名」というのはいったいどういう意味なのか?

1. 釣り

ファンのみなさんの期待をもてあそぶことができる、というのは私たちの活動の余録の一つといえる。正直に言うけど、完全版には必要な要素はすべて含まれると考えている。それ以上の情報については、割り引いて聞いておくべきだ。余談だけど、いつも釣りネタを常時かましている、あるいはあまり頻繁にやっていると、効果がなくなってしまう。なので私たちはやりすぎないようにしている。

2. ウソ

確かにただの意地悪だ。でも本当のことを隠すため、あるいはばかげた質問への腹いせに、うそをついたことはある。結局最後には1番で述べた内容に落ち着くけど。

3. 気が変わった

これはしょっちゅう起きる。もう公開された部分についてはあまり起きないことを願いたいけど。(そう言う部分は「もっとも公式度が高い」ので。気にする人には、ね)私たちは何か有意な形でAct1の内容を変えるつもりはない。でもその必要があると思ったときは、そうするだろう。未公開の部分については、まあ……もうちょっと気が変わることが少なければうれしいんだけど、とだけ言っておこう。ありがたいことに、現時点では今までよりはそういう心変わりが起きることは少なくなったようだ。

4. その場の思いつき

質問を受けたときや、たまたま何かを思いついてしまったときに、ストーリーと全く関係のない事柄について述べることがある。これは他の開発チームの面子があえて否定するまで、大筋で「公式」ということになる。でもそんなものに意味なんてあるだろうか? だいたい本当に意味があるなら、最初からゲーム本編に含まれているんじゃないか?

まとめると、一般に存在する「公式」に対する(私にしてみれば度を過ぎた)こだわりの他に、二つの大きな問題がある。

・かたわ少女はよその作品と違って、外部世界をがっちり構築するようなことをしていない。私たちが語る物語の外側により大きな世界があるかどうか、正直そんなことは気にしてない。もし気にしていたら、その世界がもっと魅力あるものとなるように努力していたはずだ。これはスタートレックや指輪物語、それどころかFate/stay nightでさえない、ほんの小さなお話だ。作品中の一貫性を保つという意味では、公式であることについて気を使っているけど、それ以上はあまり気にしていない。


・そもそもその外部世界なるものの中心にある物語だって、表に出ている分量はまだ非常に少ない。だから私たちが何を言ったとしても、常に変更になる可能性がある。

たとえば、Richter Bromontは山九学園の校長をルチャドール(訳注:格闘技ルチャリブレの選手)として描いたが、以前私はその描写は正しいと述べたことがある。だとしても、今の時点ではゲームに何の矛盾も生じない。(校長本人はゲーム中に登場しないし、その描写が正しいかどうか判断できるほど詳しく言及されてもいない)だから全くのうそをついたというわけでもない。私は単に面白いと思っただけだ。でもこの一言だけで、その描写は「公式」、作品世界における「事実」となるのか? そういうことになるんだろう。ただ、もし作品中に校長を登場させることになった場合は、なんというか、もうちょっとまともな人物として描かれるだろう。実際、初期のシナリオ稿では校長の出番もあって、その校長は女性だった。そっちの方が私の思いつきの発言よりも公式度が高くなるだろうか? でもどっちみち、もうゲーム本編には登場しない。ことの本質は、作品中で示されたものの他に、客観的な現実なるものは存在しないということだ。作品そのものにしても、書き手を信用するしかない。当然に見えるかも知れないが、私は最近うみねこのなく頃にを読んだ。そしてその作品世界がそれなりに考証が行われたものだとしても、それはやはり架空のものであって、現実と同じように全ての辻褄が合っている必要はない、ということをうみねこファンが受け入れられていないのを目にした。**そんなうみねこが文章として良い出来なのかどうかは、もちろん読者が判断すべきことだ。そしてあることがらがはっきりと説明されていないとしても、「決まっていない」という状態が公式となることは全く問題ない。映画「インセプション」のエンディングがいい例だ。それに対する反発も含めて。

さらに二次設定という問題もある。東方の作品世界はほとんどが二次創作による設定だ。そのうちの何かを公式と信じる人が十分に多ければ、いずれその設定が「真実」とされることは間違いない。ファン層は自分の手の内に物事を取り込む。それが本編の物語よりも面白かったとしたら、誰が文句を付けるだろうか? だから私は、いろんなコメントをかき集めてより大きな世界を構築しようとする人たちをとがめることはしない(それが楽しいのであれば)。ただ、私たちはその活動を追いかけるほど気にはかけていないというだけだ。本編の内容を管理するための労力もすでに限界に来ているのだから。私はゲーム本編において意味のある内容はもう収録されているか、今後必ず収録されると考えている。必要以上に大きな世界を作り込む必要はない。多くの商業作品と違って、私たちは続編を作ったり、スピンオフのための仕掛けを用意したりすることを強いられているわけではない。運が良ければ、こうした本筋でないアイディアが一つの架空世界へとまとめられる可能性はある。でも期待はしないでほしい。

—delta


* 書き手を「神」と呼ぶのはちょっとバカバカしいのではないかと思う。tvtropes発祥であることはもちろん知っているけど、だからといって何かが良くなる訳じゃない。tvtropesなしにはまともな議論を全く行えず、ここ最近はあのキャメルケースで書かれたダジャレをみんなが使っている始末だ。あれがいつから始まったのかはどうでもよくて、tvtropesのおかげで実にウザい、目にしたくない、ムカつく代物になった。

** 今にして思えば、うみねこは「釣り、ウソ、心変わり、その場の思いつき」が物語の核心だった。まさにそこがいいと思っている人も多かったみたいだ--白状すると、私もそう思っていた。それ以外は微妙だったけど、単なるブログ記事の範囲を超えるので触れるのはやめておく。

2011年4月1日金曜日

エイプリルフールのお知らせ:今後の展開

(訳注:4/1に間に合わず申し訳ありません。)

完全版のリリースを目前に控えていますが、今こそこれまで秘密にしていたいくつかの事柄について話すときでしょう。

私たちの進捗報告を追いかけてきた方なら誰でもご存じのように、私たちはゲーム全体を無料で公開することを公言していて、それはこれからも変わることはありません。それが私たちの高潔で根源的な理念の一つだからです。しかし現代のインターネット環境では、収益を上げる多くの機会が存在していることに私たちは注目しており、これを利用しない手はないとも考えています。
そこで、かたわ少女を真剣に受け止めてくれている方々、そのすべてを楽しみたいという方のためのアカウントサービスを、ここに満を持してお知らせします。

通常のもの以上を求めているプレイヤーはアカウントを取得することで、すぐに追加要素にアクセスできるほか、拡張コンテンツも参照可能になります。

さて、アカウントユーザーがアクセスできる追加要素とはどのようなものでしょうか? その主なものをいくつかご紹介します。

1.追加ストーリーへのアクセス

これは大きな目玉です。追加オプションでアンロックできるシーン(2をご覧ください)に加え、ゲーム本編では見られないキャラクターが登場する、より大きなストーリーを用意しました。メインヒロインの各ルートほど長いものではありませんが、それらと同様に、攻略可能なキャラクターとマルチエンディングのある、完結した物語をフィーチャーしています。これらのストーリーはアカウントサービスを通してダウンロードできるパッチとして提供される予定です。完全版のリリース後しばらくしてからの提供になるでしょう。現在4つのストーリーを製作中ですが、そのうち二人のキャラクターをご紹介します。

カタヤマ リカ

「じゃあ……私たちは同じだ……って、そう言いたいの?


リカは山久学園の2年生で、左心低形成症候群という、久夫のそれと近い心臓疾患を抱えています。治療をしなければ命に関わるものですが、リカは幼いときに、心臓の再建手術を受けています。とはいえ身体は虚弱で、また常に合併症の危険と隣り合わせの状態です。
度重なる入院生活は彼女を独りぼっちにしてしまいましたが、それでもリカは決して寂しさを感じているわけではありません。ときに意思の疎通が効かなくなり、人ごみの中でさえ物思いにふけりがちです。人びとは彼女が内気であると受け取りがちですが、実際は、リカはどんな人とも上手くやっています。とはいえ、リカは滅多に積極的な関係を築こうとはしません。
久夫は保健室で偶然リカと出会い、2人はお互いに自分と向き合うきっかけを見つけます。リカの高飛車な振る舞いと、自分の症状に対する表向きの余裕は、久夫の成長へのきっかけとなるかもしれません。しかし思いがけない出来事が二人の関係を驚くべき方向に巻き込み、困難のときが始まります……


リカのシナリオはSilentcook、アートワークはmoekkiが担当しました。


エノモト サキ


「なんかカッコイイこと言うね、でもカッコつけすぎるのも善し悪しだよ

サキは脊髄小脳失調という退行性疾患にかかっており、徐々に筋肉の制御が失われるなどの症状に苦しんでいます。今は松葉杖で体のバランスをとっていますが、いずれは歩くことや日常生活、食事や呼吸さえもできなくなってしまいます。回復の希みも無いまま死ぬことを運命づけられ、サキは葛藤し続けてきました。彼女は恐ろしい退行性の障害を抱えて日々を過ごしていますが、それでもサキは普通の女子高生と同じようにお洒落で社交的です。サキはその症状による不自由とも上手く付き合い、さらに久夫と出会った美術部での活動のように、細かな運動能力が必要な活動に臨むことでそれに立ち向かおうともしています。久夫はサキを、その途方もなく快活で複雑な性格から、愛嬌はあるけれど厄介な人物だと考えます。新しい春のファッションについて笑いながら話していたかと思うと、自分の辛い症状に対する苦しさを吐露し、それでもそのまぶしい笑顔を絶やさないのです。しかしそんなおおらかなサキでさえ、決して人に伝えることのない何かを抱えているのです……

サキのシナリオはAura、アートワークはweeeが担当しました。


2.ボーナスコンテンツ


「どちらでも通るだろう」
・かわいかった
・かわいくなかった
・お前かわいいな



「選んで、ひっちゃん! 私たちのどっちにする?」
・どっちも選べないよ、こんなのやめようぜ
・本当に好きなのは静音だ
・ごめん静音、ミーシャが一番かわいい
・どっちも選べないよ、二人ともってのはだめか?


少額の1回限りの支払いをすることで、ゲーム中にアカウントユーザーのみが選べる選択肢が追加されます。アンロック可能な選択肢は、そのシーンに小さな変化を及ぼします。たとえば追加のイベントCG、あるいは追加シーンや裏設定などです。これらはその選択肢でしか見ることができません。もちろん、これらはメインのストーリー展開にはまったく影響はなく、必須ではありません。


3.限定グッズ



アカウントサービスの開始と同時に、ファンの皆様にTシャツや抱き枕、ポスターなどを販売するオンラインショップ「Four Leaf Studios webストア」がオープンします。アカウントユーザーは一般ユーザーよりも通販処理が迅速に行われ、アカウントユーザー限定の特典やアイテムも入手できます。


4.プレミアム特典


ここまでの進捗を破棄してもよろしいですか?

通常のゲームでのセーブとロードはできなくなります。代わりに、『図書室』オプションによって好きなシーンへジャンプすることができます。セーブ・ロード機能はマイクロペイメントで料金を支払ったアカウントユーザーのみ使用できます。また、ロールバック機能は一行ごとに料金を支払うことで使用可能になります。(もちろん、リードバック機能は引き続き無料で使用できます)


5.広告非表示


「私、サントリーのフレッツォアイスクリームのラズベリーとビターメロン味がとても好きなんです」

プレミアムユーザーはゲーム中のテキスト内にランダムに挿入される『広告テキスト』が表示されなくなります。また、CG内のタイアップ広告も非表示にすることができるようになります。

KSプレミアムアカウントは、完全版リリースの時点では一部地域を除き全世界で利用可能です。様々なサブスクリプションレベルがあり、非常に魅力的な価格で、1回限り、または月単位で購入できます。追加要素や4LS webストアでの買い物は、アカウントにひも付けられた「かたわポイント」で支払います。これは個別に購入するか、毎月の自動課金で入手できます。100かたわポイントはおよそ5米ドルです。(サブスクリプションレベルと地域により異なります。)これらの仕組みはValve社の協力によって実現しており、かたわ少女はSteamプラットフォーム上でリリースされます。




なぜ私たちがKSとお金についての考えを180度変えたのか、不思議に思っている方もいるかと思います。それは、ようやくそのお金の良い使い道を見つけたからです。私たちの多くは、人生の中で何か大きな、素晴らしいことを成し遂げるのに良い場所を見つけました。そしてそれが今まさに実現します。Four Leaf Studiosは本物の実在のスタジオになります。かたわ少女の先を越えて、ビジュアルノベルの世界で冒険を続けようとしています。私たちは実体のあるスタジオをデンマークのコペンハーゲンに設立しようと考えています。KSが完成したら、実際に製作会社を設立し、開発者のほとんどを移動させて更なるプロジェクトに取り掛かるつもりです。言い換えれば、私たちはもっと大きな一歩を踏み出し、本気でインディーズゲーム界に嵐を巻き起こします。今後の展開、KSリリースの前と後の両方に是非ご注目ください。将来に向けてとてもイケてるアイディアを暖めています。


ここまで読んでいただきありがとうございました。私たちと同じようにこのお知らせを喜んでいただけたなら幸いです。

2011年3月8日火曜日

ブログが1000000ヒット!



ブログが百万ヒットを記録した。実感してみるとちょっと恐ろしい。

ここまで読んでくれてありがとう。

- Aura

2011年3月7日月曜日

やりたいことがあるときは

どうも、deltaですよ。しばらくブログ記事を書いてなかったので、そろそろまた技術ネタを書く時期ですね。



ビジュアルノベルは、コンピュータープログラムとしてみた場合、本気で考えないといけない「機能」というのはそれほど多くない。小さな違いはあるかも知れないけど、ユーザーエクスペリエンスという点では、どれも非常によく似ている。そのこと自体は何の問題もない。そもそも最初から極端な違いなんてないからだ。「ビジュアルノベル」という言葉自体がその体験の定義になっている。実際、既存のVNエンジンを使う理由のひとつは、ビジュアルノベルという形態に期待される機能が一揃い用意されているからだ。VNはプログラムを作るのが極端に難しいわけではないけど、こんなに狭いフィールドでは車輪の再発明をする理由は少ない。だからといって、開発者が何も考えてなくても許されるわけじゃない。VNのユーザーエクスペリエンスにおける仕様の多くは、慣例的にそのようになっている。そして、慣例というのは必ずしも正しいわけじゃない。(間違ってるわけでもないけど)もし開発者がありきたりなものでは満足できないと思ったら、エンジンや慣習がどうなっていようが、やりたいようにやっていいし、そうすべきなのだ。

そうした機能のひとつが「既読テキストを読み返す手段」だ。これは何らかの形で可能になっていないといけない。そして、これにはまさに慣例が存在している。ほとんどのVNで私が目にしたのが、上下にスクロールできるリストの形でバックログを表示する方式だ。私たちが使っているエンジンであるRen'Pyは、「ロールバック」と呼ばれる別の形式を取っている。(これに対して、最初に述べた形式は「リードバック」と呼ばれる)ロールバックはインタープリタの状態をまるまる以前の時点に「巻き戻す」ことができる。これは間違いなく技術的には優れた形式で、実装するのはずっと難しい。Ren'Pyの売りのひとつでもある。読者はテキストだけではなく、文脈まで--キャラの表情、音、アニメーション、すべて込みで、画面全体を以前の状態で見ることができる。

さて、これにはひとつ問題がある。Ren'Pyの標準機能ではこの形式しかサポートされていない。そして開発者というのは選択肢を求めるものだ。これには様々な理由が考えられる。自分のゲームに「本物の日本製ゲームっぽさ」を出したいとか。物語的に、これまでとは異なる手法を使いたいとか。もっと(私にとってだけど)重要なのは、Ren'Pyはインタープリタの状態を丸ごと巻き戻す。このとき、それ以前に発生したプレイヤーの入力は選択肢の選択を含めて、すべて破棄される。ここで仕様上の判断が必要になる。リードバック/ロールバックというのは、実際には何を意味するのか? Ren'Pyは、エンジンはゲームをプレイヤーに表示するためのツールでしかなくて、できる限り選択肢を読み手に委ねる、という思想に立っている。意図的に設計された体験ではなくて、「リーダーアプリケーション」というわけだ。ロールバック支持論として頻繁に出てくるのが、「読み手はゲームのセーブ・ロードができるじゃないか、まさかそれも禁止ってことはないよな?」というものだ。私に言わせれば、これは妥当な主張とはいえない。まず、一般的なビデオゲームでゲームデザイナーが「セーブしまくり」とでも言うべき行動をできなくすることはありうる。KSではそういう制限はしていないけど、物語上の、さもなければ今までだれも考えたことがないような理由がどこかにあるかも知れない。(余談だけど、KSではセーブ・ロード機能にも手を加えている。デフォルトのRen'Pyは日本製のVNで見られる「セーブスロット」の仕組みを丸パクリしている。これ自体はバッテリーでデータを保存していたファミコンゲームの仕組みから取られたものだ。ちょっと最新とは言いがたいので、KSでは2004年頃からSourceのゲームで採用されているシステムを使っている。21世紀に生きてて良かったね。)

結論はこうだ。私はKSにおけるテキストのバックログを、主人公の記憶と考えている。そして記憶というのは不変のものだ。ロールバックをするとき、プレイヤーは「インタープリタの巻き戻し」を行っているのではなくて、プレイヤーがすでに見た光景を読み直しているのだ。これは暗黙に、選択のやり直しができないことを意味する。もちろんセーブと再ロードはできるけど、単にマウスのホイールを回すのに比べれば、セーブ・ロードはずっと意識的・意図的に行われる、重大な行為だ。

理由がどうあれ、何かが「本質的に優れている」からというだけで、ゲーム開発者が制約を受ける理由はない。カラー映画が作れるのだから、白黒の映画を作ってはいけないと言うようなものだ。ゲーム内でのプレイヤーの相互作用を制約することは、何らかの理由で、デザイン上の目的になりうる。そしてもし開発者がそのようにしたいのなら、そうできるようになっているべきだ。Ren'Pyにはロールバック以外のバックログ機能はないけど、自分で機能を作り込める程度にはオープンで柔軟だ。

KSのAct 1には私自身が設計したリードバック機能が実装されている。ロールバックもできる(あればうれしい機能には違いない)けど、選択肢まで戻るとロールバックが止まる。つまり選択肢を越えて巻き戻すことは絶対にできないようになっている。これなら一度選んだ選択肢は変えられない。ロールバックできなくなったテキストを表示したいときは、リードバックが使える。この仕組みは明らかに不完全なので、決して満足はしていなかった。自分が欲しかったのは、選択肢はやり直せないけど好きなだけ戻れるロールバックだと思った。なのでそれを実装した。

私が作ったものはちょっと複雑なので、ここで詳しく説明はしない。Ren'Pyはロールバックとは独立した「プレー一周単位」でのメモリという概念がない。これがまさに必要な機能で、問題を難しくしている理由だ、とだけ言っておこう。Ren'Pyには「ストア」(プレー一周単位のデータを保持できるが、完全にロールバックされる)と「パーシスタント」(ロールバックはされないが、インストールされたゲームについてグローバルとなる)という機能しかない。結局私は、プレーの周回が始まるたびにユニークなIDを生成してストアに保存し、このIDをパーシスタントに保存されているデータベース内のインデックスに使う、という実装をする羽目になった。実際にはそれほどややこしくはないけど、それでも自分で考えついて作り込まなくてはいけなかったのは確かだ。もしかしたら最終的にリリースされるKSには含まれないかも知れないけど、評価のためにはこれをやってみるしかなかった。自分が欲しいものについて考え、そして少なくとも実際に検証する。それがここでの教訓、そして私がこの文章を書いている理由だ。エンジンや慣習がそうなっているというだけで、最初から自分に制限をかけてしまってはいけない。それが自分以外の誰も気にしなさそうな、とても小さなことであってもだ。みんながやっているからというだけで、何かをやってはいけない。ただし、様々な相反するアプローチから、一番いいものを選ぶ用意はしておくこと。最終的には、自分で「もっといい」もの、さもなければどちらよりも適切なものを思いつけるかも知れない。

みんながそれに文句を言い出さない限りは、だけどね。そのときは振り出しに戻ってやり直しだ。

P.S. 絵についてはAuraの方が手が早かったんだけど、climaticも混ざりたいと言ってきた。なので最後まで読み終えた人へのご褒美に、彼のイラストをどうぞ。

- delta

2011年3月6日日曜日

華子ルートのディレクション完了



ひとつ、ふたつ、みっつ--華子のスクリプトとルートのディレクションが終わりました!

つまり華子のデザインについて語るときが来たということですね。

華子の絵は、他のキャラクターに比べると比較的安定していました。2008年の1月、MoekkiやKamifishと一緒にイラストチームに参加して以来、Weeeは華子のイラストレーションを担当していて、立ち絵やCGをずっと手がけてきました。上の画像でもわかるように、Weeeは開発に参加する前にも華子のスケッチを描いています。最初の開発掲示板(すでに閉鎖)上で、まだゲームのブレーンストーミングが行われていた頃のことです。彼女の活動歴はかなり長く、絵もどんどんうまくなっています。(例大祭8で発行される東方同人誌の共同イラストレーターに選ばれました! がんばれWeee!(サイト上での名義はraemzです))

RAITAのオリジナルデザインと比較すると、華子はリリーや静音の時とは違って、それほど変化はありません。Ke^4のスケッチでは、デザインに特徴を与えるために、やけどを負った側の顔を覆う前髪が一房追加され、髪の長さもより長くなりました。これ以後、このデザインが華子のデザインの基本となりました。ストッキングの色は黒に決まりました。RAITAのスケッチに沿っており、またリリーの白のストッキングと陰陽のコントラストをなすためです。

これはコントラストの追求という、華子とリリーのデザインの対比の一面を表しています。リリーと華子の性格は大きく異なっていますが、それだけではなくその容姿にも二人の対照的な生き方が色濃く反映しています。華子は身長が高めの、どこかアジア的な美少女で、長い黒髪、濃い色の服装と華奢な体型です。一方リリーはさらに背が高く、容姿も西洋的な美しさを持ち、長い金髪と色の薄い肌、そして青い目をしています。二人の感情表現、ポーズ、そして装いはすべてそれぞれの性格と生き方を反映しているのです。




というわけで、以上が華子の話でした。ようやくCrudと私が彼女のルートを書かなくて済むのでほっとしています。ディレクションを完了したDelta、お疲れさまでした。今後も琳と静音についての続報にご期待ください。

- Suriko

2011年3月5日土曜日

早すぎた郷愁

旅程は目的地よりも重要だろうか?

KSの開発を形容するために、このむしろ手垢のついた表現を使ってみた。その後、この言葉は果たして妥当なのかと思い始めた。これまでのKSは長く曲がりくねった道程だった。ゲームそのものの開発に直接関係ない多くのことを行い、そして遭遇してきた。私たちにはお絵かきBBS、ファンイラスト、副プロジェクト、私たち自身も関わりを持とうとしている活気のあるコミュニティ、さらにネットで一緒に動画を見たり、ビジュアルノベル媒体について井戸端会議をしたりする、私たち自身の内輪の集まりもある。直接KSの完成に寄与しないとして、こうした二次的なものにどのような価値を見いだすことができるだろうか? KSの開発に関係のないKS関連の活動を行うのは時間の無駄だろうか? このブログを書くことのように。

もっとも大きな副次物であるコミュニティについては、4LS自身のものとより大きなKSコミュニティともに、プロジェクトにとても大きな力を与えてくれるものだと思っている。なぜプロジェクトがいまだに死に絶えないのかと疑問に思う人は多い。それは私たちが強情だからだが、もっと重要なのは、気にしてくれている人がいるから死に絶えていないと言うことだ。コミュニティというのは大事なのだ。

究極的には、旅程と目的地は不可分だ。目的となるゲームのリリースがなければ、私たちは目的もなしに無駄に時間を過ごしているだけ、ということになる。しかしこれまでに起きた様々なことの後では、そのリリースは旅路の末の甘美なご褒美なのだ。それぞれが互いに意味を与え合っているというわけだ。

- Aura

2011年3月1日火曜日

あなたの子供はあなたのものではない



それなりに有名なある作家が書いた、ファンフィクション(二次創作の小説)とは極悪非道なものである、というとても奇妙な罵詈雑言を見かけた。幾度か対処の必要に迫られた著作権関連の問題を除けば、私はこれまでファンによる創作のことをあまり真剣に考えたことはなかった。しばらく考えた後、これは実は何とも奇妙な現象だということに気がついた。まあ、そもそもファンが付いているという現象だって奇妙なんだけど。

KSがこれほど有名であることに、私は何と言うか戸惑いを感じている。(ほかの開発者たちもだ)居心地の悪さから -- ともすると無思慮に -- その戸惑いを正直に表に出してしまうことがある。これは秘密でも何でもない。でも事実は残る。私が作った作品のファンについて私がどう思うか、なんてことについて思いを巡らすことがあるなんて、全くもってこれっぽっちも考えやしなかった。私は自分自身、何のファンだとも思っていないし、そういう現象そのものが遠いもののように感じていた。しかし受け側に立つというのは実に奇妙なものだ。こういうことを大っぴらに話すのは賢明ではないと言った。私たちの多くは愚かさに対して非常に厳しいことで有名なこともあって、こうした主張が容易にファン嫌いと解釈されてしまうからだ。(そんな事実はない。私は4LSの誰よりもファンが好きだ。少なくとも週末は。)

とにかく、ホッブはどうやら自著のファンフィクションの存在にひどく傷ついている(いた、かもしれない。元の文章は5年前のものだし、すでに元の場所にも存在していない。)ようだ。理由はなんとなく察しがつくが、彼女の立ち位置には正直まるで賛同できない。それにこの文章で彼女が主張している内容はなんだか都合のよい議論に見える。ファン創作には長所も -- より深くファンの関心を引く、創造性は常に善、etc. -- 短所も -- 確かに著作権の侵害ではある、等々 -- ある。それぞれの効果に各人がどれだけ重きを置くか、そして積み重なった結果が正味でプラスになるかマイナスになるか、結局はそこに行きつくのだ。では私はファンフィクションに賛成か、反対か? おそらく私はそれを知りたいのだろう。

最初の説明には、ファンフィクションは単純に悪であり、原作者に対する侮辱だ、少なくとも大半はそうだ、とある。この主張の妥当性には疑問を抱くが、後で使うためにここで述べておきたかった。このブログ記事ではこの主張への反論として、「ファンフィクション」に分類されうる、評価の高い文学作品の膨大なリストを提示する。まあ定義は非常に広範囲なものになってしまうけど。世の中には出来のいいファンフィクションだってある。しかしファンフィクションには一般に、ある種の何となくネガティブな印象があり、それは分厚いステレオタイプに包まれているのだ。

手短な調査の結果、IRCの常連たちは一人もKSのファンフィクションを読んでいないことが判明した。(まあ一人はいるんだけど。こいつはいろんな意味で頭がひねくれているので)しかしうちのファンイラストの画像掲示板には全員が割と頻繁に訪れている。これはなぜか? 品質についての主張がここでは妥当性を持つ。一番よく引き合いに出される主張でもある。ほとんどのファンフィクションはひどい代物なのだ。しかしファンイラスト、ファンフィクション以外のフィクションを含め、他の何であっても同じことだ。ただファンフィクションはこれらに対して不利な点が二つある。ファンアートは1、2秒あれば理解できる。ファンフィクションを読むのは長い時間がかかる。文芸出版物は「出版」という品質維持のシステムがある。誰でも自分が書いたファンフィクションをfanfiction.netとかうちのフォーラムに投稿できるが、これを出版するとなると出版社の課す基準を満たさなくてはいけない。あなたが購入した書籍は、あなたが無作為に読んだファンフィクションよりも出来がよい可能性が高い。それゆえ消費者にとっては、単純な利益と損失の比較を行うことで、ファンフィクションを読むかわりに別のことをするという判断に至るわけだ。ファンイラストがファンフィクションより寛容な扱いを受ける理由のわかりやすい説明でもある。

しかしこれだけでは、ホッブ氏がここまで怒る理由、この問題について私がバカみたいに長いブログ記事を書くの説明にはならない。ホッブ氏がファンフィクションが善か悪かなんて気にしているとは思わないし、私はKSのファンフィクションを読まないので質の議論は当てはまらない。著作権の侵害だからファンフィクションは悪だ、というのはかなり弱い議論だと思う。法律は道徳の反映でしかなく、道徳を決めたり説明したりするものではない。ホッブ氏の主張を見ると、自分の精神的な所有権というものがあって、誰かが自分の設定やキャラクターを使う(盗む)ことはその権利の侵害だと言っているように見える。これは実に主観的な問題で、どれだけ創作者が自分の創作物に愛着を持っているかが、この問いに対する意見に大きく相関するだろう。創作者は自分の作品が自分の所有物であり、自分自身の個人的な一側面であり、その個人的空間を侵されるのを見ると不快感を覚えるというわけだ。見てもいいが、触ってはだめ、と。

さて最後の問いは、なぜ創作者はたとえばファンイラストよりもファンフィクションのほうを気にするのか、だ。質に関する説明はここでも失当だ。精神的所有はどちらにも同じくらいの強度で働くだろう。これは、両者の間で元ネタを変形させるという性質が違うことが原因だと思う。イラストは一般に、元コンテンツのスタイルを変形させるだけでしかない。しかしフィクションは必然的にコンテンツそのものを改変する。証拠として、deltaは偉大なる奈須きのこによって執筆された、かたわ少女のオープニングシーンの仮想バージョンというアイディアを提起した。私は最高なアイディアだと思った。彼には特徴があるし……文章のスタイルも興味深い。もしそんなものがあったらぜひ読んでみたい。ゆえに、スタイル的に改変されたファンフィクションを私は直ちにアリだと思った。イラスト対フィクションの答えはこれだ。

ホッブがまさに正鵠を射ていると思った一つの点は、ファンフィクションを書くのは文章の書き方を学ぶ方法としてはひどいものだということだ。ファンフィクションを書くことで、あなたは読者に自分の物語への興味を持ってもらうという、ストーリーテリングの最も重要な側面を飛ばしてしまうことになる。短編なら便利かも知れないし、タダで読者が付く。しかし結果として身につく習慣は非常にマズイものだし、「本物の」ライターになるための足がかりには決してならない。絵画を模写するときのように、確かにそこから学べるものはあるので、ファンフィクションを書くことが時間の無駄だとは言わない。しかし新しい家具の事を考えていても、家を建てることについて学ぶことはできない。ともかく、ファン創作を作るのは何もしないことに比べれば間違いなくずっとましなので、ぜひやってほしい。

私自身は、自分の表した言葉に精神的所有権を持っていると思っているのか? そうかもしれない。しかし私の言葉は私だけのものではない。私は物事を読み聞きし、コメントを求め、自分だけでは思いつけなかったかも知れない言葉を書き付ける方法を探し出している。構文解析を繰り返し、再考し、使い回し、参照する。他者からの影響を集め、目の前にあるライター向けの教典から使えるものを取りだしている。だから私が積極的にもらった分のお返しをするのは当然だろう。それに、私の考えていることなんてどうでもいいじゃないか?


- Aura

釣りネタを見たらこの記事を読むこと

誰かがうちのIRCにやってきて、自称4LSのメンバーがKSの「小ネタ」を書き込んでる4chanのスレへのリンクを貼って、この質疑応答をしてるのは本当にあなたたちかと聞いてくるのはこれで2度目なので、今後の参考のために先手を打ってリプライしておこうと思う。

KSのゲームそのものやプロジェクトについての発言を裏付けなく信じる人は、特に4chanのような場所では、巧妙なネタに釣られても仕方ないでしょう。私たちは自分たちのブログ・フォーラム・IRCの外でKSや4LSの話をすることはありません。

2011年2月28日月曜日

もっとずっと良いものになるのに

もともとこの記事は、非常に示唆に富んでいると感じたある掲示板のスレッドへの書き込みだった。元スレには文末のリンクから飛べる。

このプロジェクトが始まって以来ずっと、性的表現という題目は多くの議論、考察、偏見、そして期待の種となってきた。様々な異なる方向へと引っ張る力が存在しているとはいえ、ずっと前に私たち全員が自分の立場を決めることを強いられた。

一般的に言えば、KSは障害について何か主張をしようとしているわけではないと思う。確かに私たちが取った立場は、人はその人が持つ障害によって規定されはしない、というものだ。それに障害の描き方について私たちは熟慮している。しかし読者が主観的に見いだすかも知れないものを除けば、KSに教訓は存在しない。

年少者にとって不適切な内容が含まれるという事実はあるが、その裏にはもっと大きな問題がある。あるいは露骨な、下手をすれば「ポルノ」と呼ばれかねない性的描写を「真摯な」作品に盛り込むことはその真摯さを減じることになるだろうか? これは多くの要因に左右されるが、その答えは「ノー」よりも「イエス」になる可能性が高いと思う。単にもっと一般的な問題の一部なのだ。痛ましいドラマも不適切なドタバタコメディによって台無しになりかねないように、不適切なセックスシーンによって作品が台無しになることもあるのだ。(そしてセックスシーンを不適切と思わせないことのほうが難しい。)頭に浮かんだ明確な一例が沙耶の唄だ。良くできたホラービジュアルノベルだが、私にとっては露骨なポルノと強姦シーンのおかげで完全に台無しになった。特筆すべきは、性的シーンどころか強姦シーンでさえ、それ自体が作品をスポイルしたわけではなく、それらのシーンの扱い方が問題だったと言うことだ。このことから、これらの出来事を私自身、もっと言えばほとんどの成人視聴者にとって、適切と感じられるような形で描写することもできたのではないかと推測する。セックスシーンを含むあまたの映画はこの意見の傍証だ。映画といえば、映像メディアにおける性描写を考える際に思い浮かぶもう一つの事例が、ザック・スナイダー監督の映画「300」の性交シーンだ。これはハリウッド映画としてはまさにポルノすれすれだが、私はこれが同作品の残りの部分の価値を損なうとは必ずしも思わない。確かにそのシーンのことについてしょっちゅう考えたりすることで、映画そのものの印象が私にとって台無しになっている、ということは認める。それでも、そこには「セックス」と「ポルノ」を区別する、何らかの目に見えない、触れることもできない一線があるようだ。(ここでは問題のない性描写を「セックス」、受け入れがたい、または不快な、価値を損なう性描写を「ポルノ」と手短に呼んだ)ここからかたわ少女に話を変えると、私がKSで書いたセックス描写(ポルノではない!)は私にとっては価値を損なうものではないと言える。なぜならそのシーンや映像描写が、私自身が許容する一線を超えないように大変な注意を払ったからだ。こういうことは結局個人の主観によるので、他のみんなはそうは思わないかもしれないが。仲間の開発者たちもそれぞれに異なる意見を持っているし、そうした意見はゲームの中で彼らが作った部分に表れている。ただ、私は障害を出来る限り人情味と思いやりを持った形で表現しようとしている。性とセクシャリティについてもそれは変わらない、というのが私の立場だ。それをご覧にいれる機会をいただけるよう、みなさんにお願いしたい。

まだゲームがリリースされていないので、ここではお話しできないこともある。みなさんがゲーム中の性的シーンを読み、そこで選択されたスタイルを目にする機会を得た後で、その制作にあたってどのような検討がなされたかを書くかもしれない。


年少の読者については、問題はちょっとややこしい。障害を受容することについて指導、あるいはコミュニケーションを行うための手段として、あなたがKSに関心を抱いている(そしてあなたは最初の一人ではない)という事実は、私たちの文化における障害の描写がとても悲しむべき状況にあることを思い起こさせる。これに限っては、謙遜でこう書いているのではない。KSは、少なくともAct 1では、このテーマについて正しいことを成し遂げたことは確かだ。それでもテーマの扱いについては大いに不足がある。なぜなら問題は別のところにあるからだ。前にも挙げた例を使ってでたらめなたとえ話をすると、それは300の映画で古代ギリシャ史の鑑賞のしかたを伝えようとするようなものだ。映画自体は所々正しい内容があるかもしれないし、歴史の教科書よりは退屈ではないから、そういう用途にふさわしいと感じられる。映画を見た誰かが都市国家スパルタ、それどころかギリシャそのものの本当の歴史について読んでみたいという気持ちになることは十分に考えられる。でもそれはこの映画が目指したものではない。同じような考えがKSにもいえる。それは置いておいて、性描写が含まれているためにKSを親御さんが子供に、教師が生徒に、それどころか誰かがその友人にだって勧めることが出来ない、ということは理解している。それでも成人向けシーンのスキップ設定を除けば、KSは読者の感性について一切考慮をせずに作られている。年齢の低さ、文化的背景、道徳的規範、どんなものであれ。これは自分たちが何に従い、何に従わないのがふさわしいのか、自分では決められないからだ。もっと深くこの問題を明らかにするため、仮に私たちが性的シーンを完全に取り除いたバージョンを作ったとしよう。一部の親はKSに含まれる下品な言葉遣いが、子供たちにとっての一線を越えているという懸念を覚えるかもしれない。じゃあ私たちは性的シーンなし、下品な言葉遣いなしのバージョンを作らないといけない。続いて健二の乱暴な女性嫌いとアンチフェミニズムの主張に不快感を覚える人たちがやってくる。かくしてまた別のバージョンを……おわかりいただけるだろうか? 性は明らかに大きな問題であり、私たちはそのon/off設定を作った。でもそこでおしまいだ。(別の決断をしない限りは)KSはありのままで提供される。その内容の一部をあなたが受け入れられないとしても、あなたがたのために特別に、お好みに合わせて譲るようなことはできない。人々が線を引き始めるに足るほど大きな問題は性の問題だけ、という可能性はあるが、今のところそこを掘り下げるつもりはない。それに、もし私たちが「きれいな」バージョンを作ったとしても、勤勉な若者が一度ググれば、自分が親/教師/どこかの誰かから受け取ったのは修正済みバージョンだと知ることになるのだ。

あなたの言葉の選び方、特に「もっとずっと良いものになるのに」という言葉からは、この要素があなたにとってKSの価値を大きく減じるものだという意図が読み取れる。これはとても残念なことだと思う。私の作品が良いものだと思ってもらえるのはすばらしいことだ。しかし他の人に勧めることを考えていただけるのは、大変に光栄だ。KSがあなたの枠を越えて大きくなってしまったことを申し訳なく思う。同じように、ビジュアルノベルという媒体(ある意味、オタクサブカルチャー全体)を取り巻く偏見もKSに対して一部の門戸を閉ざす手助けとなっている。おそらく、障害を持つ人々への思いやりを欠いた世界では、KSは単なるラブストーリーを越えるものに、博愛と障害者の世界、異質さと疎外感に対する悲しみの物語になりうるのかもしれない。でももう少し理想論をぶつと(笑っていいよ)、これには反論したい。KSはまさにそれそのものだ。それ以上の何物でもない。この世界のほうがもっと開かれていて、寛容であるべきなのだ。

- Aura

フォーラムの元記事はこちらです。

2011年2月13日日曜日

ハッピーバレンタイン

恋愛ゲームにおいて、バレンタインというのは一大イベントです。笑美と琳は一番大事なことが何か、分かっているのです――恋する人に、甘いものを。



ハッピーバレンタイン!

2011年2月8日火曜日

星空に手を伸ばす

(本家ブログ2011/1/18の記事の翻訳です。)

ままあることだが、面白い意見を持った人たちがIRCの会話を増やしてくれ、私も自分の考え(そして仲間の考え)をブログにまとめたくなった。基本的に、欧米で開発されたビジュアルノベルの現状には様々な人が不満を持っているようだ。十分なクォリティがないし、さらには、もともと日本語で作られた翻訳物にすら及んでいないクォリティなのだ。我々も日本人以外でビジュアルノベルを作っている集団として、この話題にはもちろんいくらか興味を覚える。しかしそれに続く議論はいささか素早く脱線していってしまった。もう我々のうちの誰もそれほど英語製ビジュアルノベルシーンを追いかけていないからだ。代わりに、どこを改良できるかということについて話し合っていた。しかしふと、いつもようにKS開発の短所について語る場合とは違って、もはや自分がその話題についての第一人者ではないことに気付く。私も文化の消費者としてある角度を経験してはいる。誰もと同じように。しかし根本的に私と違う経験をしてきた人は私の見方に全然同意しないかもしれない。多くのビジュアルノベルを読んできた。私より多く読んでいる人も少ない人もいるだろう。名作と呼ばれるものもとても沢山読んできた。好きになった作品もあったし、すごく出来がいいと思った作品もあった。そういった経験が私のビジュアルノベルという媒体への見方を形作っている。私がこのサブカルチャーのこのジャンルに抱いている見方は以下のようなものだ:

ビジュアルノベルというだけでは、それが秘めている高いポテンシャルを実現できない。かすりもしない。実際のところ、スタージョンの法則で保証された上位10%ですらも、他の物語り媒体と比べるととてもひどい。これは最初に貼ったスレッドで非難されていた作品のみに限らず、すべての英語製ビジュアルノベルに言えることだ。ここで面白い事実がある:15人ほどいる4LSメンバーの中で、ビジュアルノベルの新たな翻訳物にまだ積極的な興味を持っているのは一人だけしかいない。絵師が2人ほど日本語ビジュアルノベルのリリースを追いかけているがCGが目当てで、我々もときどき新しいリリース(日本語版も西洋ものも翻訳ものも同様に)に注意を払っているが、それはいつもある種の無感動とともにである。とはいえビジュアルノベルという媒体自体は大好きだし、こんなビジュアルノベルが読みたいというものをイメージすることもできる。

広く一般化した結論:今作られているビジュアルノベルは、そのポテンシャルに比べてずっと出来が悪い。演劇や小説や映画と比べてもはるかにそういう傾向が強い。さて、すぐ飛んできそうなビジュアルノベルを弁護するかんじの主張として、「ビジュアルノベルは若い媒体だ」というのがある。「本を書いたり演劇をやったり、あるいは漫画や映画やアニメーションでさえも、ビジュアルノベルの10年やそこらの短い変遷に比べると非常に長い長い間行われてきた活動だ」ビデオゲームや漫画といった比較的最近のメディアの進化ぶりと比較すると、これには確かにいくらか真実があると思う。さらなる高みへ達するためには、ビジュアルノベルは自らがはまっている無益な洞窟から抜け出さなければいけない。(私の見る限り、ますます深みにはまっていっているだけのように見える)そのうえでとても重要だと考える4つのポイントを述べる:

1.ジャンルへの依存を取り除く

これは最大の問題で、これだけで4,5項目の箇条書きに分けられるほど大きい。しかし読んでいる皆さんがとても退屈するだろうし、論文でもないのでそれはしない。ビジュアルノベルは媒体にすぎないが、ほとんどすべてのビジュアルノベルが何らかのアニメジャンルに当てはまる。ストーリー的にもグラフィック的にも。このサブカルチャーの慣習、あるいは比喩表現と言うべきか、それこそがビジュアルノベルの息の根を止める癌だ。(これは通説でもある)ポルノ的なセックスや、過剰な思春期テーマ、類型的なキャラの個性などの描写が、ビジュアルノベルをニッチな分野として固く閉じ込め、とても少数の熱狂的アニメファン以外を取り込む望みを失わせている。潜在的な顧客の限界を作っている。漫画市場が、そしてビデオゲームですらも成長してその境界線を広げたように、ビジュアルノベルも同じことができるはずだ。

2.言葉の垂れ流しをやめる

2,3の例外を除いて、私が読んできたビジュアルノベルは語数に比べてまったく不十分なストーリーだった。長ったらしく書くことに正当化の余地はあるものの、あれはむしろわずかな良いアイデアをどうでもいいような会話やテンプレ化されたイベントの沼に沈めてしまうというルールに思える。視覚化によって(4.で述べるような適切なもの)多くの言葉は不要どころか邪魔にすらなる。平均的なビジュアルノベルと平均的な劇のスクリプトを比べてみればいい。最近のビジュアルノベルはあからさまに長く、その主な理由は「そういうものだから」に思える。しかしどうしてこんな風潮が始まったのだ?ライターの給金が語数によって支払われているのか?有能な編集者が高すぎて雇えないのか?わかりはしないが。どちらにせよ、人為的に必要以上に引き伸ばされたスクリプトは、とても退屈な読書体験を生む。

3.双方向性の物語り手法を作り上げる

これこそビジュアルノベルを書くときに唯一もっとも難しいところで、他の物語媒体との違いがもっとも分かりやすいところだ。今まで私を満足させてくれる形のルート分岐や双方向性を備えたビジュアルノベルを見たことがない。その理由は双方向性のストーリーが活かせるほど時間とアイデアをつぎ込めなかっただけだろうと感じている。本当に満足のいく双方向性のためには、プレイヤーが成す決断によって大きく展開が変わらなければならず、内容があっという間に手が付けられないほど膨れ上がるからだ。注目すべきは、欧米のビデオゲームがそういった双方向性を実現していることで、私が満足できるだけの幅広さに到達しているものもあるが、残念ながらたいていの場合は物語的な一貫性を犠牲にしている。(どの会話選択肢も些細で、あちこちに無意味な脱線が散りばめられているMassEffectのようなものについて話している)ともかく、双方向性こそ欧米のゲームデベロッパー(欧米のビジュアルノベルデベロッパーではない)が日本より良いビジュアルノベルを作れそうな唯一の分野だ。素晴らしいストーリーを伝えつつ双方向性も同様に上手く盛り込んだゲームも確かにあるのだ。

4.さらなるビジュアル化

これは難しい。deltaは異論があるみたいだけど、私は重要なことだと感じている。他の視覚的な物語媒体と同様に、脚本はビジュアル部分よりもずっと大事だけれど、ビジュアル部分を使わないと視覚的なメディアを使っていることを正当化できない。今の風潮だと、最高のビジュアルノベルですらDinosaur Comicsの親戚といったところだ。あれはせいぜいネタは面白いという程度で、漫画としては大変な駄作だ。Deltaはビデオゲームのカットシーンを逆の例として挙げた。具体的にはこれとか。私は見たことがなかったが、すぐにとても気に入った。オープニングは(わずかに)絵が動くけど、ビジュアルノベルの基本的な構造とそう違いがない。画像と語り部、それだけだ。つまりビジュアルノベルが行き着く最高の形はこんな感じなんじゃないかと。今までに見たビデオゲームのカットシーンの中で最高のものを想像してみよう。それを頭の中で静止画に切り分けて、物語を挿む。立ち絵+音楽+エロCGという常識など吹っ飛んでしまうだろう。これこそ今このときも常に進化が起きている分野だと思っている。革新的なビジュアルノベルは視覚的にどんどん印象的なものになっている。それはわざとらしい萌えキャラが上手く描けているという意味じゃなくて、ビジュアルノベルの視覚的な要素をもっとうまく使っているということだ。最近っぽい例でいうと、Minoriのeden*が思い浮かぶ。Minoriのビジュアルチームは常々トップレベルだったけれど、私の考えでは、eden*でよりはっきりと一歩先に進んだと思う。でもまだ道のりは長い。スペクトラムの反対側で、私が咄嗟に考えられる最高の英語製ビジュアルノベルといえはThe Dreamingだけど、もしルート分岐(いいアイデアだけど、出来は酷かった)とビジュアル(ひどくゲームに合ってない)を取りのぞいて、短編小説として書き直されたうえで曲を聴きながら読めば、もっとよかっただろうと思う。それってビジュアルノベルである意味がないような。

と、これが私が必要だと思うことだ。ハイクォリティなビジュアルノベルを作ろうと思ったら予算がいる、ということを示している項目もあるけど、予算は今のビジュアルノベルにはないものだ。ビジュアルノベルはあまり人気がないから、ファンも少ない。私が見たいと思うビジュアルノベルは、おそらくいろんな理由によって、実は多くの客が見たいと思うものとは違う。ビジュアルノベルはとても小さくニッチなマーケットで、年々小さくなっている。でも、それはビジュアルノベルという媒体自体にはなにも関係ない。明白な解決法はビジュアルノベルが新たなファンを見つけることだけど、エロいアニメ絵や思春期ファンタジーをお届けする場から真剣な芸術へ昇華していくのは茨の道だ。(というのはそういう道を越えてきたあらゆる芸術が示している。頭が下がる)

最後に、個人的な側面を取り入れるため、KSの立ち位置を考えようと思う。と思ったけどやめておこう。前述したそれぞれのカテゴリーでKSがどれくらいやれているか、一通りの意見はあるのだが、具体的な話は完全版をリリースしたあとに取っておきたい。まあ全体的な感慨を述べるだけにとどめると、「あまり良くない」だ。ビジュアルノベル界全体と違って、これがなぜかはよくわかる。KSは前述したポイントで完全に間違えている。我々がまったくもってアマチュアだという――それはしばしば最悪の事態だ――根本的な理由によって。我々が出発した4年前、誰もこういった事について手がかりひとつ持っていなかった。プロジェクトは実験的な事柄のかたまりで、開発の枠組みは常に変化し、学習中のクリエイターは判断ミスをしては結果を受け入れる日々だ。半分から2/3の4LSメンバーはKSが大して好きじゃないと言ってもいいだろう。これは我々がみんなでやってきたことに誇りを持っていないだとか嬉しくないだとかいうことではなく、ただ今知っていることを最初から知っていれば、KSは大きく違ったものになっていただろうし、きっと今ほど親しみやすくもなくて、1年前にはもうリリースできていただろうということ。私だって今のKSがそこそこ好きだが、私にとってこのゲームの本当の長所は――あるとするなら――このゲームを囲むコミュニティと、敢えてこう言うけど、このうえなく素晴しい誕生秘話の旅のもとで作られたということだ。もし我々がチームとして続いていくなら、自分達の考えややり方を見つけながら続いていくなら、いつか本当にすごいものが作れるかもしれないと思う。しかし、たった一つのビジュアルノベルを作ることすら大変な投資で、だからクリエイターとして成長するのは大変だ。自分たちがどれだけやれるか見るためだけに10年や20年も一緒にやっていくっていうのは考えづらい。今あるどの英語製ビジュアルノベルのチームもそうだろう。日本の商業的なチームのほうがいくらかあり得るかもしれないと思うが、彼らの創作意欲も別な形で縛られるかもしれない。どうなんだろうね。ビジュアルノベルを媒体として進化させるには、他と交流しながら、境界線を押し広げようと長期的に奮闘するクリエイターがたくさん必要だ。そんなクリエイター達が現れるには、作品を応援してくれるファンが必要だ。作品に反映し学ぶためのファンが。

卵は勝手に生まれない。なら世界に必要なのは鶏だ。

- Aura

2011年2月6日日曜日

リリールートの作業完了

ついにリリールートのスクリプトと演出作業が完了しました。ばんざい!

記事を肉付けするために、ここはまたキャラクターアートのまとめといきましょう。今回はリリーです。



リリーのデザインは元となったRaita氏のスケッチとは少々異なってます。スケッチでは若く病弱に描かれていて、「ちょっとありがち」という言葉が添えられていました。しかしなぜかこの設定はほとんど即座に忘れられて、控えめで母性的な性格と置き換わっていました。この変化が最初に見られたのは初期に書かれたキャラクターコンセプトですが、その後のビジュアル面をも決定したといえます。

時が経ち、Ke^4が絵師として参加しました。彼の描いたリリーは、Raita氏のスケッチに誰かが色を塗ったバージョンの配色を使っていました。ブロンドの髪に青い目という、
典型的な「アニメの外国人」です。髪型はシンプルになり、たくさんのゆるい毛束というよりはウェーブがかったものになりました。そしてここから黒いリボンも欠かせない要素となりました。

Ke^4が抜けたあと、次にリリー担当となった絵師Gebyy-Terarが2案目となるリリーの立ち絵一式を描きました。新しいバージョンの山久学園の制服が使われ、白のストッキングを履くようになり、頭に一房の髪が加わり、前髪は少し軽くなりました。

最終的に、Gebyyが抜けたあとRaideが参加してリリーの絵を引き受けました。長い検討を経て、リリーの前髪は今の形に簡略化され、髪は長くなり、プロポーションも171cmの身長に見合うように変更され、控えめな性格を強調するためにスカートも長くなりました。リリーのポーズと表情のセットが仕上げられ、白杖が追加され、私服が追加されたのはつい最近のことです。



と、これがリリーのビジュアルの変遷で、今の進捗です。


- Suriko

2011年1月26日水曜日

Genesisの大ファン

やあ、久しぶりだね。
そういえばKSの音楽についてはあまり公に語られてこなかったなーと気付いて、ささっと説明することにしたよ。


僕がプロジェクトに入った2007年、KSにサウンドトラックはないようなものだった。
最初期の開発チームは一握りのコンセプトトラックを作っていてForumに出回ってはいたけど、そのまま波に乗ることはなかった。
結局2007~2008年の間から20-25曲ほど書いた。
それから僕は個人的な事情でプロジェクトを離れるんだけど、ちょうどその前にBlueが入ってきて引き継いでくれた。
2年ほど経って、2010年の10月に再びプロジェクトに参加。
サウンドトラックはほとんど出来上がっていて、僕の仕事は作曲から曲の管理に変わった。
僕が前に作っていた曲はもはや十分なクォリティと言えなかった。
プロジェクトから離れている間に僕が築き上げてきた水準をはるかに下回っていたんだ。
だから僕はリメイクに取り掛かった(ガンダム0079を見たことがあるかい?あのワンシーンみたいなかんじだ。アムロが強くなったことでガンダムの性能が足を引っ張りはじめたから、改良が施された。僕はアムロで、僕がガンダムだ。
信じられないかもしれないけど、僕は曲についてのフィードバックには目を通していたんだ。多くの人が指摘していた問題に対処して、いくつか完全な書き直しもした。さらに、Act1にはなかった新しい曲もいくつかある。
最終的に――これは僕の願望でもあるけれど――ゲームの残りに見合った水準のサウンドトラックになっている)


僕がいつも固く信じてきたことだけど、公に何かをリリースするときには、ただ単に物を放り投げてそれを好きになってくれると期待するのではなく、受け手のことを考慮に入れる必要があると思っているんだ―少なくともちょっとくらいは。
ありがたいことに、多くの人がAct1の曲を気に入ってくれて、そのぶん曲を一新するのがちょっとつらくもなった。
結局、たくさんの大きな変更を加えたけれど、みんなオリジナルよりも楽しんでくれると確信してるよ。(そしてもしオリジナルが楽しめなかったのなら、今度のは好きになってもらえるかもしれない)


応援してくれたみんなと、他のチームメンバーに感謝を。あとガンダムは見るべき。

- Nicol

(訳注:いわゆるファーストガンダムは海外ではGundam 0079とも呼ばれているようです)

2011年1月4日火曜日

少女たちの進捗 2011

Four Leaf Studios一同から皆さんへ、新年明けましておめでとうございます。

さて、新年が来た。本当は『2010』という響きのほうが好きだったけど、でも『2011』も時が経てばいずれ気に入るようになるかもしれない。そして時は進むだろう。これまでゲームの開発が進んでいたのと同じように。去年という年は明るく前向きで、私たちはみんな仲良く陽気なハミングをしながら、楽しくせっせとKSの開発を続けていた、と言えれば良かったのだけど……そんなことを真顔で言えるスタッフは一人もいないと思う。でも言い争い、不平不満の言い合い、爆発するイライラを乗り越え、私たちはどうにかバラバラになることなく、確実に作業を進めてきた。

2010年に起きた主な出来事といえば、開発者を失い、開発者を再び獲得した。大変な幸運によってある人物に巡り会い、彼とともにゲーム中の特別なサプライズについて作業をしている。Crudと私はコンベンションでKSのパネルを開催した。(これを読んだ人の中には実際に参加した人もいるだろう。)すべての開発者の暮らしにおいて、KS以外に様々な出来事があった。良いことも悪いことがあったが、KSそのものはどちらかといえば転がり続けていた。文章、イラスト、音楽、編集やディレクションがほぼ毎日追加されていった。

しかし、それも今年起きるであろうことに比べれば他愛ないことだ。理由はひとつ。

10年前の今日とほぼ同じ日、
2000年12月30日のコミケット59において、RAITAはSchuppen Harnischeをリリースした。

4年前の2007年1月、4chanの/a/(Anime & Manga)画像掲示板に、その同人誌のおまけページに載っていた構想を元にゲームを作ろうという書き込みが行われ、固定表示されるようになった。

半年後の2007年6月、名前を持つ集団として初めてFour Leaf Studiosが結成し、本格的なゲーム製作が始まった。

ほぼ2年前の2009年1月、プレビューとしてAct 1がリリースされた。

そして今日から数ヶ月以内に、開発が始まってから4年、かたわ少女はリリースされるだろう。

個人的には、ゲームがリリースされることを考えるのはなんだか妙な気分だ。あまりにも長い間、これは私の人生の一部だった。決して忘れられないものであることは間違いないし、きっと他のほとんどの開発者たちも同じ心境だろうと思う。開発している間に密接に関わった、幾人かの仲間のことも決して忘れないだろう。だが時は過ぎていく。一語ずつ、一行ずつ、そして議論を重ねるたびに、完成と最終的なリリースに向けて開発は進んでいる。

旧年中(そしてその前の年も、さらにその前の年も)、私たちは何度も進捗報告を求められてきた。そして残念なことに、とても多くの理由によりそれをはねつけなくてはならなかった。道理をわきまえた聞き方をしてきた人に対しては、少なくとも理由を述べることはしてきたつもりだ。だが新しい年を迎えた今、このプロジェクトがどんな状態にあるかを出来る限りきちんと説明するのが適切だと思われる。そんなわけで、ディレクションの状況を含め、いつもよりも詳細な状況報告を以下にお届けする。ディレクションを含めるのは、これがゲームの『確定的な』部分を一番よく表すものだからだ。つまりディレクションが行われた章(Act)は、それ以上修正が行われることはない。このため、ある章に関するテキストがすべて書き終えられた後でないと、ディレクションは行われない。(第1稿->第2稿->編集者による編集->ディレクション)

笑美ルート:
テキスト:スクリプト完了
ディレクション:ディレクション完了

リリールート:
テキスト:スクリプト完了
ディレクション:全4章中3章まで完了

華子ルート:
テキスト:スクリプト第2稿完了、4章を編集中
ディレクション:全4章中2章まで完了
琳ルート:
テキスト:4章の第2稿を執筆中
ディレクション:全4章中3章まで完了

静音ルート:
テキスト:4章の第2稿を執筆中、3章を編集中
ディレクション:全4章中2章まで完了

全体として:
Act 1とAct 2のディレクションは完了していて、Act 3もほとんど完了している。笑美ルートはスクリプトとディレクションに関しては完成していて、イラスト資産の作りによる特徴に対応するための小規模な編集とディレクションの調整を残すのみだ。現在の見通しでは、ゲーム中の資産が現状通りにとどまれば、執筆/編集待ちとなっている各章について、ディレクションを中断することなく続けることができるはずだ。イラストはいつもの通り、進捗については大部分が明らかでない。すべてのキャラクターについて、すべての立ち絵が完成している。(ディレクションの際に表情を追加する必要が生じたりしなければ)そのため絵師たちは残りのCGとカットインの完成に向けて作業している。CGについては、全くの白紙から描かなくてはいけないCGは非常に少ない。残りのほとんどは彩色を残すのみだ。

というわけで、これがプロジェクトの現状だ。これからの数ヶ月はリリースの準備で忙しくなるだろうけど、かたわ少女が2011年内にリリースされることは確かなので安心してほしい。

新年を祝って、Weeeによるイラストを。Four Leaf Studios一同、完成を辛抱強く待ってくれているみんなに感謝したい。そしてみんなが安全で幸福な1年を送れることを願っている。

-Suriko