2011年9月17日土曜日

スキルギャップ


まず最初に、ご覧の通り最近はブログの更新がありません。主に私のせいです。ごめん。でもだからといって、私が1か月くらいブログで愚痴をたれていないってだけでフォーラムにスパムじみた書き込みをしまくるのはよくないですね。落ち着いて待っていてください。私たちはベストを尽くしています。


時々、自分がこのブログをどうしたいのか、さっぱりわからなくなることがある。このブログの永遠の問題だ。私が書いた記事のほとんど(というか、このブログの記事ほとんどだけど)は、うわべだけでしか繋がっていない、とりとめのない物思いの類いでしかない。実際は、そういうとりとめない雑談はIRCでさんざんやっている。なのでブログを書く意欲は、それだけの言葉を読みたいと言う、どこかにいるはずの誰かの気持ちに依存する。自分達がこのブログ執筆をうまくできていると言う実感はまるでない。自分達のやり方では、更新頻度も記事の範囲も、とてもへんてこになってしまうからだ。というわけで読者たるあなたに問いたい。このブログでどんな記事を読みたいのか? プロジェクトの進捗という言わずもがなのネタは対象外として。理由は今までにも述べた通り。当てにならないとか、色々とね。

まあ、それはともかく。

本当に書きたかったことは、記事のタイトルに込められている。スキルギャップというのは、「よい創作物」とは何かという自分なりの展望と、実際の自分のアウトプットとの差のことだ。スキルギャップは常に存在する。自分のやっていることが間違っているんじゃないかという苦しみの中に。苦心して作った作品を投げ捨ててやり直したいと思う衝動の中に。自分よりも才能ある人を見たときに感じるかもしれない嫉妬の中に。あなたがクリエイティブな人物なら、何らかの形でこの気持ちと向き合わなくてはならない。

スキルギャップは人がクリエイターとして成長するにしたがって、大きくなったり小さくなったりする。学び、分析し、考えていくほどに、上限は上に上がり、ギャップは広がる。ひたすら鍛練に鍛練を重ねれば、それだけアウトプットの質が上がり、ギャップは縮まる。

自分自身について言えば、自分のスキルギャップを認知することはとても不愉快な不安に繋がる。そもそも物書きというのは、単語や熟語や慣用句や引用によって、思考を現実世界に描き出すことだ。その中には他のものより優れているものもある。でも自分の書いたものが、当人の想像の中にあるものに匹敵しうる、という人はどこにもいないと思う。私だってそんなものは書けない。この記事を読んでいる皆さんが、私が本当に思い描いた物語、琳と久夫と、二人の間に起こる諸々の出来事を読むことは決してない。実際に目にするのは私がキーボードの上にどうにか吐き出すことができた、粗雑な翻訳物でしかない。このことに気づいて、少し悲しみを覚える。いろいろ考えてみれば、私のスキルギャップは広いし、それが私にもたらす影響も同じくらい広範囲にわたる。私は自分のテキストをたくさん見直すし、何度も何度も繰り返して書くし、書けなくなってしまいがちだし、等々。一語一語が戦いなのだ。

自分とは正反対に、deltaはおそらく4LSの中で一番スキルギャップが狭い。彼は担当する作業の腕がとてつもなくいいのだけど、作業の性質上、彼は自分のポテンシャルの上限に非常に近いところに居続けることができる。自分たちライターや絵師は自分の能力のみに制約を受けるが、deltaはそれ以外にも制約を受けている。使っているエンジンの制約とか、チームが作り出せる資産(アセット)の量とか。さらに、こちらには何百万もの芸術作品や文学作品という比較対象があるけど、ビジュアルノベルについてはそう多くない。deltaの本当の能力の限界はわかってさえいないかもしれないが、スキルギャップが内的な性質に限られないことはわかるだろう。

スキルギャップによる不安に対処する方法として、「無理矢理ねじ伏せる」よりも良い方法、というか他に方法なんてあるのかどうかわからない。とにかく自分の好きな媒体を選んで、最高のものを作ろうとし続ければいい。そして自分が客観的に見て、とても下手だという事実にへこまなければいい。始めるときは特にそうだが、自分の限界を認めることはいつだって重要だ。どんな作業であれ、それ以上質を良くしようとしても意味がないという決断がどこかで必要になる。「もう十分だ」と自分に言い聞かせるのは間違ったことじゃない。ヘタクソであることを恐れてはいけない。だってある意味では、あなたは永遠にヘタクソなのだから。(非現実的なことを信じるように自分をだましているのでなければね)自分の欠点を正直に認めて、うまくなるために必死に努力することが、クリエイターとして成長するための道なのだ。

4LSでの最後のネタはweeeだ。彼女の腕前はかなり良いとたいていの人が思っている。実際その通りだ。ただ、彼女の過去の絵を見てみるといい。私たちがKSを作り始めたとき、weeeはそこまで上手じゃなかった。当時のmoekkiやkamifishのほうがずっと上手だったことに、本人もちょっと落胆していたのだった。でもどうだろう。weeeは絵を描くこととKSにこだわり続けて、たった数年後にあんなに上手になった。weeeは自分の才能を本当の意味で伸ばして見せ、それとともにすばらしい絵描きになった。

ここで肝心なことは、良いクリエイティブな人となるには、自分自身を理解しないといけない、ということだと思う。自分自身を誠実に見ることができれば(そして自分のヘタクソぶりという真実にガッカリせずにいられれば)、それこそたくさんの成長に至る道があなたの前に開けるのだ。

- Aura

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