正直二回目があるかどうかは……どうでしょうかね。
やる方は結構プレッシャーがあるので。
訳出したSSを以下に公開します。ライブ時から多少手直ししました。
ライブを見られなかった方も、ゆっくりご覧ください。
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「これは公式ではありません」
自分の耳で、リズミカルに地面を叩く自分の足音を聞くのはとっくに慣れっこになっていた。最新の気取ったガジェットから、音楽が頭に流れ込んでくる。俺はそのビートと自分の歩調をゲームのように合わせる。
走ることは俺の習慣になっていた。雨が降ろうが、雹が降ろうが、日が差そうが、仕事の前に30分走り、昼休みの間に30分走る。俺は走って、走って、さらに走る。
3度目の生きるチャンスを与えられた人間の人生というのは、こういうものだ。
最初の発作の後、俺の人生はぶちこわされたと思った。残酷なゲームを俺に押しつけた、高いところにいる神様たちに呪詛を吐き、俺は自己憐憫におぼれた。それの何が悪いっていうんだ? 俺は自分の黄金時代だと思っていた時期に打ちのめされ、友達からも引き離されて、新しい環境に無理矢理突っ込まれた。当時は、俺はすべてを失ったと思っていた。
馬鹿みたいな思春期特有の不満から、俺は自分がわかる唯一の方法で自分の運命に抵抗した。医者の指示に従わなかった。薬をまじめに飲まなかった。ほとんど運動もしなかった。
その報いは素早く、そして容赦なかった。俺は「喪失」という言葉の全く新しい意味を知った。今は、痛みも耐えるには辛いものになった。
だから俺は走って走って、走り続ける。これが俺の贖罪だ。この10年間、毎日俺は走ってきた。
もう10年になったのか?
プレーヤーの曲が一周したので、俺は前を見て気合いを入れ直す。過去を振り返ってもどうにもならない。俺は上を向いて、前を見て、先を見通さなきゃいけない。
待てよ。
俺は視界に何かを認めて、その時稲妻のようにひらめいた。この10年間で初めて、俺は走るのを途中でやめ、振り向いた。
公園の池の脇にあるベンチに座っている人がいる。もう何千回もこのベンチのそばを走りすぎたはずだ。でもこの人物が座っているのをみたのはこれが初めてだ。彼女はサンドイッチの端をちぎって池に投げる。あひるが怠惰そうに落ちたところに泳ぎつき、それを食べる。
この世で俺以外の誰が彼女の手を見たとしても、何とも思いはしないだろう。確かに、年月は情けを示したようだ。俺が見覚えのある濃い紫色の痕は、周りの肌とちょっと色合いが異なる程度にまで薄れていた。
「華子? 華子なのか?」
手の主は振り返って俺を見る。どれだけ心臓病の運動をしたとしても、この瞬間に耐える用意はできなかっただろう。最後に会ったときと場所から何百万年、何百万キロ離れたこの場所に、華子本人が座っている。
華子の特徴だった前髪はなくなっているが、髪は伸ばしていた。いや、そうでもないかもしれない。座ったままではわかりにくい。手と同じように、顔の痕も薄らいでいた。
「久夫くん? どうしてこんなところに?」
華子は俺に気づいて立ち上がる。最後に会ったときよりも成長していた。背は少し高く、そしてずっと大人びていた。
まあ、大人びてるのは当たり前だ。もう大人の女性なんだから……
なんだこれは? 集中もできやしない。エンドルフィンと乳酸が俺の頭を鈍らせている。集中しろ俺、集中するんだ。過去は過去だ。失ったものはもう絶対に取り戻せないんだ。
「俺、あの、この近くで働いてるんだ。この辺で毎日走ってて、でもお前がいるのは今まで見たことなかったから……うわあ、もうどれくらい経ったっけ?
華子は少し首をかしげる。くそ、今のは言わなきゃよかった。いやな記憶が華子の頭の中にいっぱいになってるに違いない。ちくしょう、なんてかわいい頭をしてるんだ。今まで誰にも言ったことはなかったけど、華子の頭はかわいい。
「長すぎた……ほんとに長すぎたわね。私、仕事で来てるの。道の向こうのホテルに泊まってる」
華子は後ろのどこかに向かって手を振る。細かいことは関係ないんだろう。それよりも、彼女の物腰が変わったことに驚いた。もちろんその始まりはずっと昔、高校生活の終わり頃から現れていたけど。
あの頃の俺たちの関係は、繭を作っている芋虫のようなものだったと思う。進展はあったけど、それは終わりではなかった。俺の前に立っているのは、蝶となった華子だ。完全に成長しきって、世界へと羽ばたこうとしている。
華子が羽化したときに、俺はそのそばにいなかったということに気づいて、心がずきりと痛んだ。
「へえ、出張か。じゃあ、華子もうまくいってるんだな……」
前触れもなく、時計が鳴り始める。鋭く二回鳴り、1秒間止まる。その繰り返し。今まで、それは回れ右して仕事に戻る合図だった。今日のそれは俺と古い友達の間に打ち込まれたくさびだった。
「やばい、俺仕事に戻らなきゃ。なあ、今日の午後は暇か? 今日は金曜日だから、少し早く帰れるんだ。酒かコーヒーか何か飲みながら、話さないか?」
「ええ、いいわ。ホテルの近くにいいカフェがあるの。大通り沿いに。『ステートメント』って名前だったと思う」
「ああ、それなら知ってる。そこで5時くらいに会えると思う……それとも早すぎる?」
華子は首を振る。短い動きが彼女の長い髪の毛を踊らせる。水晶のイヤリングの輝きがそれを強調する。
俺たちがデートしていた頃、華子は一度もイヤリングをしなかった。似合ってる。
「5時でいいわ。じゃあ後でね」
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華子は公園にいたときと同じスーツを着ている。薄いグレーで、白いピンストライプだ。誰か他の人が華子のスカートをはけば、「ロング」スカートと呼ばれるだろう。だけど華子のことだ。俺に言わせれば華子の3/4? の長さのスカートはむしろミニに見えた。俺は18歳に戻り、ホルモンの海で泳いでいた。
「もうワインを一本頼んだけど、いいでしょう? いつまであなたがいるかわからなかったから」
華子の話し方を聞いて、俺はほとんど口がきけないほど驚いた。今になって初めて、俺は華子の声色に気づいた。学校時代には全然注意していなかったのだ。華子に聞かなきゃいけないことがある。たくさんの、意味のない質問を、華子が俺に話し返してくれるものならなんでもいい。
「いや、全然構わないよ。あと遅くなってごめん。思ったより仕事が長引いちゃって。電話しようと思ったんだけど、番号知らなかったから……」
「じゃあ、それは何とかしないとね。あなたの番号は?」
華子の指が携帯の上で踊って、俺のデータを入力していく。最後に俺の電話にかけて、手順を終わらせる。
「さてと、じゃあ久夫くん、最近何してるのか教えて?」
「正直言うと、大したことはしてない。生命保険の会社の保険数理士っていうのをやってる。人がいつ頃死ぬかを計算して、保険を引き受ける価値があるかどうか判断するんだ。15.7年。参考までに言うと、俺にはそれしか残ってない。走るのを始める前は、その半分しかなかったかも。自分の勤めてる会社の保険にだって入れないんだぜ」
「辛い話ね」
「まあね。でも請求書を払って十分おつりが来るから、文句は言えないさ。華子はどうなの? 悪気があって言う訳じゃないけど、すごく変わったじゃない」
華子は遠くを見るように顔を見上げる。最後に会ったとき以来の彼女の人生を振り返って、大事な出来事を思い返すかのように。
「そうね、変わったかもしれない。でもいろんなことが起きたから……あのことも……あなたの……ね」
「心臓発作だろ。別にいいよ。言っても」
「ええ、あなたの心臓発作。あれのおかげで、いろんなことを自覚して、それで助けを呼ぼうと思って離れていった」
古い怒りが波となって俺に押し寄せる。あの古ぼけた病院で二度目に目覚めたとき、華子はいなくなっていた。手紙もなし、電話番号もなし、ナースに伝言さえしなかった。俺にしてみれば、彼女は蒸発したとしか言えなかった。
これを言うのは俺にとっては苦痛だけど、それが一番よかったのかもしれない。ようやく華子が自分の顔をあらわにして、自由に話せるほど自信をつけたのを目にするのは、俺の苦しみをいくら積んでも釣り合わないだけの価値がある。
「まあ何をしたにしても、うまくいってるよ! 率直に言うけど、すごくきれいになった」
「あ……ありがとう」
ああ、「俺の」華子は完全に失われたわけじゃないのかも。華子のほおが真っ赤に花咲き、魅力的だけどいらだたしくもある、あのどもりが戻ってくる。
ワインがやってきて、ウェイターがそれぞれのグラスに注ぐ。二人とも軽食を注文すると、ウェイターは陰に退き、俺たちはまた二人きりになる。
「とにかく、あの……場所を……離れてから、私は大学に戻ったの。専攻も変えて、今はこうして、レビュー記事を書いてる」
「レビュー? 何の?」
「ホテル、食べ物、着るもの……何でもよ、ほんと。世の中いろんな雑誌とか、ウェブサイトとか、新聞とか、旅行ガイドとかがあるから……全部足せば、レビューの需要はたくさんあるの。だから私も書いてるってわけ」
「へえ。それは思いつかなかった。楽しい?」
「請求書を払って十分おつりが来るから」
「そっか」
二人ともワインに口をつける。最初の近況報告的な会話が終わった後、お互いにあまり話すことがなくなる。かつて俺たちがデートをしていたとき、二人の関係は会話で成り立っていたわけではなかった。どちらかというとお互いの利益のために、とでも言うべきか。
食事が届き、話さずにすむ口実ができるけど、それもワインと一緒にすぐになくなってしまう。華子がもう一本ボトルを頼み、ウェイターがダイニングスペースからラウンジに移らないかと尋ねる。
「旅行のレビューを書くって言ってたけど、どこかおもしろいところに行った?」
「行ったけど、行ってないの。私が書いている旅行レビューのほとんどは作り話だから。いろんなすてきな場所のことをたくさん読んで、ほんとに行ったように見せかけるの」
「それって詐欺じゃないか?」
「そうでもないわ。私が書いてるような雑誌を読む人たちは、そもそも旅行なんて絶対行かないから。だから、代わりに旅行に行った気分にさせてあげるってわけ」
「じゃあ、お前は嘘をつくことでその人たちの役に立ってるってわけだ」
「世の中はそういう風にできてるのよ、久夫くん」
ワインが効き始めている。この「新しい」華子もムードに乗ってくつろいでいるようだ。2本目のボトルも来たときと同じくらいあっという間になくなり、ウェイターがもう一本頼むかと尋ねる。
「ワインは嫌いじゃないけど、次はウィスキーのロックにするよ」
華子はその言葉にしばらく考え、おもしろいけど覚えにくい名前のカクテルか何かを注文する。
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華子のホテルの部屋は、今風の銀色の内装が施された、いい部屋だった。部屋の目玉は、普通ホテルといえばそういうものだが、ベッドだ。そしてその上で華子と俺は抱擁する。
最後にこうして出会ったとき、俺は処女の華子とセックスをした。
だが今夜、俺は大人の女性となった華子と愛を交わす。
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カーテンの隙間から陽光が差し込んでくる。どうやら俺たち二人とも、カーテンのことは気にしなかったらしい。
華子はもう起きていて、ブラウスのボタンを留めていた。俺は少し体を動かして、華子の枕からシャンプーの残り香をかぐ。ココナツっぽい。俺は一人笑う。これだけの年月の後、華子と俺はまた一つになったのだ。この世のすべてがうまくいったような気がする。
「おはよう」
「あ、あの、おはよう、久夫くん」
ほとんど無意識に、俺は華子が左の薬指をもてあそんでいるのに気づく。明るい朝日の中で、その指の付け根に紛れもない薄い色の皮膚が帯となっているのが見える。
つい最近まで、華子は指輪をつけていたのだ。
「ひ、久夫くん……あなたに言わないといけないことがあるの……」
放送お疲れ様でした
返信削除日本語で失礼します
読み終わった後、胸に広がる苦い感覚がいいです
結局ふたりとも、今の生活なんかに馴染めてないんですね…
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返信削除なにか深いですよね、かたわ少女。
返信削除早く完全版がやりたいですw
頑張ってください!
Act2が楽しみだ!