他言語への翻訳がかなりの数になってきたので、そろそろその辺について少し語るときだろう。(少なくともAuraがそうしろと私に催促している)ただ問題は、あまり語ることがないって事だ -- 実際の翻訳作業は当然ながら大変な作業量だけど、翻訳を組み込む手順そのものは結構簡単だ。KSエンジンには、翻訳を実現するための拡張機能が最初から組み込んである。なぜかというと、KSに関わり始める前は、私はビジュアルノベルの翻訳に活発に取り組んでいた。そして日本製のエンジンを日本語以外の言語でうまく動かすことの難しさに苛立っていたんだ。どっちかというとその腹いせに(それと、日本語オンリーという考え方を英語オンリーにそのまま置き換えたくなかったために)、最初から国際化というアイディアをつらつらと考えていた。そして、これからあらわれるかも知れない翻訳者たちが、せめて技術的には苦労をせずに済むようにエンジンを作った。もちろん、多言語統合エンジンを作ったもう一つの理由は、実際の翻訳の中身は私たちにはほとんどわからないとしても、自分たちが翻訳作業により近い立場に立って、何かあったらインプットが得られる、ということだ。少なくとも、他言語訳が非公式なパッチに依存することはない。もしそういうものが出てきたら、私たちとしては黙って見ているわけにはいかない。今のところ、この試みはうまくいっているみたいだ。そしてAct1のフランス語訳以後も、翻訳が続くことを願っている。もちろん、完成版の翻訳作業は全く別の話。でもそれは実際に出来上がってから取り組んでいくつもりだ。
ところで、パリのJapan Expoとは別に、もう一つコンベンションがある。KSスタッフのPimmy、 IRC/ファンアートの常連VCR とDoomfest が、7月1日からロサンゼルスで開催されるAnime Expoのアーティストテーブルに参加する。もし行く方がいたら、一言挨拶してほしい。VCRの限定生産 ピンズをゲットするのもいいかもしれない。そしたらナベシンにサインしてもらうんだ。そうそう、KS 関連のアイテムをまるっきり関係ない日本人のオタ系セレブにサインしてもらうって、すごくいいよね。
- delta
2010年6月27日日曜日
2010年6月25日金曜日
「あらあら」の訳は"Eh bien, eh bien"です:A1V4リリース
かたわ少女Act 1 v4がリリースされました。最大の変更点はKawa Softの提供によるフランス語訳の追加です。Kawa Softは7月1日にパリで開かれるJapan Expo(ホール5A, Z457)で、彼らのブースにてこれを公式に公開します。近くの方はどうぞお立ち寄りください。あと、彼らがフランス語訳を行った素晴らしいノベルゲーム、True Remembranceも同時に公開されます。ディスク配布も行う予定です。あとできたら、小島(一言多すぎ)秀夫もコンベンションに来ているので、KSのCDにサインしてもらってください。成功したら写真撮ってくださいね。
(訳注:True Remembranceの日本語サイトは こちらです。
これ以外にV4には新規のコンテンツはないので、V3をプレイ済みでフランス語を読めない方には、あまり新味はありません。ただ、いくつかのシステム/UIの改善と、中国語訳の3.0.1パッチが含まれています。変更一覧はChangelog を参照してください。
パリはちょっと遠い、という方はこちらのリンクからAct 1 v4をダウンロードしてください。
直接ダウンロード:
DDL:
Torrent:
いつもの通り、このリリースは過去のリリースを置き換えます。トレントのシードにご協力をお願いします。
- delta
(訳注:True Remembranceの日本語サイトは こちらです。
これ以外にV4には新規のコンテンツはないので、V3をプレイ済みでフランス語を読めない方には、あまり新味はありません。ただ、いくつかのシステム/UIの改善と、中国語訳の3.0.1パッチが含まれています。変更一覧はChangelog を参照してください。
パリはちょっと遠い、という方はこちらのリンクからAct 1 v4をダウンロードしてください。
直接ダウンロード:
DDL:
Torrent:
いつもの通り、このリリースは過去のリリースを置き換えます。トレントのシードにご協力をお願いします。
- delta
2010年6月10日木曜日
Manifestにて、かたわ少女パネル開催
やあみんな。CrudとSurikoがManifestアニメコンベンションに参加して、かたわ少女のパネル(トークイベント)を開くことになった。パネル開催に招待してくれたCemexに感謝します。
コンベンションは8月20日から22日まで、オーストラリアのメルボルン(会場はメルボルン・ショーグラウンド)で開催される。パネルは8月22日の日曜日にある。
コンベンションの詳しい情報はこちらの公式サイトでどうぞ。
http://www.manifest.org.au
2010年6月7日月曜日
喪失と孤独
駆け出しのライターは、よく「自分の知っていることを書け」とアドバイスされる。まあ、私は障害のことはよく知らない。自分には障害はない。知人に障害を抱えている人もいない。障害について書くのは難しい。これから残りの人生を全て障害の研究に費やしたとしても、せいぜいそれがどんなものかを大まかに想像することしかできない。なので、他のことについて書く方が簡単だし、それが私のしていることだ。私が琳と久夫のことを書くとき、他にも様々なことについて書いている。結局、私が実際によく知っていることについて書いたりすることもある。だけどそれでも、私は失うこと、孤独、そして障害のことは想像で書かなくてはいけない。
障害というのは、いくつかの性質がある。能力の喪失であり、四肢の欠損であり、完全な人間という定義を満たさない人々を分類するものだ。辛辣で不公平な表現だが、悲しいことにそれは事実であると同時に、事実とはほど遠くもある。人間を定義するにあたって、肉体はどれだけの割合を占めているのか? 古い問題だ。
人がどのようにこれを体感しているかを書くのは難しい。正面から立ち向かわなかったとしても、それはキャラクターからゆっくりとにじみ出てくる。最初から最後まで、ロープの上でバランスをとり続けているようなものだ。キャラクターは当然、自分の障害を意識しているに違いない。でもそのことしか頭にない、というのはちょっとやりすぎだ。障害のおかげで、キャラクターはいろいろな日々の営みに余分な面倒を背負っている。だからといって、その営みがまったく出来なくなるわけじゃない。障害はキャラクターを形作るけど、キャラクターを定義するわけじゃない。久夫は何かを失ったけど、それはどちらかといえば抽象的なものだ。久夫の障害は目で見ることができない。自分の限界を忘れない限り、身体的な制約はあまりない。だけど久夫は自分の新しい境遇に慣れるまでにとても苦しむ。彼は意気消沈し、悩む。多くの読者が驚いた、Act1の一部のシーンで見られるように、彼の気分は大いに移り変わる。私は生まれつき障害のあるキャラクターも書いている。彼女はそもそも腕も手も持ったことがないし、そのことを特に苦にしているようでもない。彼女の穏やかさは久夫のほぼ正反対だ。そこが難問なんだ。琳は、そもそもそこにない腕を失っていることを、どこまで気にしているんだろう?
何かが存在しない、ということを説明するのはとても難しい。
自分のキャラクターに完全に共感できないとしたら、キャラクター同士で共感し合うことはできるのだろうか? 表向き、それはこの物語の舞台である架空の学校が存在する理由の一部でもある。あの場所に孤独はあるのだろうか? あるに違いない、と私は思う。キャラクターたちはティーンエイジャーで、そして人間である以上、世をはかなむ気持ちや、存在することの憂鬱さもあるに違いないんだ。そして、このキャラクターたちはそれを私よりももっと純粋で強烈な形で感じているんだろう、と私は想像せずにいられない。夜の山久学園の寮の静寂を思い起こしてみる。メロドラマ的に一人で憂鬱な気分になるには絶好の時間だ。月明かりが寮の部屋と、暗い物思いや不眠に苦しんでいるその住人を照らす。隣の部屋では別の生徒が同じ月を見て、多分同じようなことを考えている。その隣の部屋では、また別の生徒が。百の小さな部屋に、百のちっぽけな人間たち。みんなつながっていて、それでいて離ればなれ。こういう考えを持っている時点で、私はすでにロープから落ちてしまっているんじゃないか、そして本当はそもそもロープなんてなかったんじゃないか、という気もする。障害なんてものはないのかもしれない。これはすべて、人生における苦難と、私たちがいずれ経験することになる孤独感をあらわす壮大なメタファーでしかないのかもしれない。
「ぼくらはこうしてそれぞれに今も生き続けているのだと思った。どれだけ深く致命的に失われていても、どれほど大事なものをこの手から簒奪されていても、あるいは外側の一枚の皮膚だけを残してまったくちがった人間に変わり果ててしまっていても、僕らはこのように黙々と生を送っていくことができるのだ。手をのばして定められた量の時間をたぐり寄せ、そのままうしろに送っていくことができる。日常的な反復作業として――場合によってはとても手際よく。そう考えると僕はひどくうつろな気分になった。」
(訳注:「スプートニクの恋人」村上春樹 より)
--Aura
障害というのは、いくつかの性質がある。能力の喪失であり、四肢の欠損であり、完全な人間という定義を満たさない人々を分類するものだ。辛辣で不公平な表現だが、悲しいことにそれは事実であると同時に、事実とはほど遠くもある。人間を定義するにあたって、肉体はどれだけの割合を占めているのか? 古い問題だ。
人がどのようにこれを体感しているかを書くのは難しい。正面から立ち向かわなかったとしても、それはキャラクターからゆっくりとにじみ出てくる。最初から最後まで、ロープの上でバランスをとり続けているようなものだ。キャラクターは当然、自分の障害を意識しているに違いない。でもそのことしか頭にない、というのはちょっとやりすぎだ。障害のおかげで、キャラクターはいろいろな日々の営みに余分な面倒を背負っている。だからといって、その営みがまったく出来なくなるわけじゃない。障害はキャラクターを形作るけど、キャラクターを定義するわけじゃない。久夫は何かを失ったけど、それはどちらかといえば抽象的なものだ。久夫の障害は目で見ることができない。自分の限界を忘れない限り、身体的な制約はあまりない。だけど久夫は自分の新しい境遇に慣れるまでにとても苦しむ。彼は意気消沈し、悩む。多くの読者が驚いた、Act1の一部のシーンで見られるように、彼の気分は大いに移り変わる。私は生まれつき障害のあるキャラクターも書いている。彼女はそもそも腕も手も持ったことがないし、そのことを特に苦にしているようでもない。彼女の穏やかさは久夫のほぼ正反対だ。そこが難問なんだ。琳は、そもそもそこにない腕を失っていることを、どこまで気にしているんだろう?
何かが存在しない、ということを説明するのはとても難しい。
自分のキャラクターに完全に共感できないとしたら、キャラクター同士で共感し合うことはできるのだろうか? 表向き、それはこの物語の舞台である架空の学校が存在する理由の一部でもある。あの場所に孤独はあるのだろうか? あるに違いない、と私は思う。キャラクターたちはティーンエイジャーで、そして人間である以上、世をはかなむ気持ちや、存在することの憂鬱さもあるに違いないんだ。そして、このキャラクターたちはそれを私よりももっと純粋で強烈な形で感じているんだろう、と私は想像せずにいられない。夜の山久学園の寮の静寂を思い起こしてみる。メロドラマ的に一人で憂鬱な気分になるには絶好の時間だ。月明かりが寮の部屋と、暗い物思いや不眠に苦しんでいるその住人を照らす。隣の部屋では別の生徒が同じ月を見て、多分同じようなことを考えている。その隣の部屋では、また別の生徒が。百の小さな部屋に、百のちっぽけな人間たち。みんなつながっていて、それでいて離ればなれ。こういう考えを持っている時点で、私はすでにロープから落ちてしまっているんじゃないか、そして本当はそもそもロープなんてなかったんじゃないか、という気もする。障害なんてものはないのかもしれない。これはすべて、人生における苦難と、私たちがいずれ経験することになる孤独感をあらわす壮大なメタファーでしかないのかもしれない。
「ぼくらはこうしてそれぞれに今も生き続けているのだと思った。どれだけ深く致命的に失われていても、どれほど大事なものをこの手から簒奪されていても、あるいは外側の一枚の皮膚だけを残してまったくちがった人間に変わり果ててしまっていても、僕らはこのように黙々と生を送っていくことができるのだ。手をのばして定められた量の時間をたぐり寄せ、そのままうしろに送っていくことができる。日常的な反復作業として――場合によってはとても手際よく。そう考えると僕はひどくうつろな気分になった。」
(訳注:「スプートニクの恋人」村上春樹 より)
--Aura
2010年6月5日土曜日
宇宙の奇跡 II
リリールートと同様、笑美ルートの第2稿が書き上がった。
担当ライターのHivemindのコメントをどうぞ:
思ったよりも時間がかかったけど、出来上がったものはきっとみんな気に入るだろう。たぶん。
シナリオはまだ完全に仕上がったわけじゃないが(間違いなく見直しが入る)、
どういう形であれ完成したものを見るというのはいいものだ。
ここから先はすんなり行くだろう。
話は変わって、私たちのFolding @ Homeチームが250位のラインを超え、この記事を書いている時点で247位に達した。
みんなおめでとう。
お祝いに、Moekkiが描いた「畳んでいる」笑美のスケッチをどうぞ。
担当ライターのHivemindのコメントをどうぞ:
思ったよりも時間がかかったけど、出来上がったものはきっとみんな気に入るだろう。たぶん。
シナリオはまだ完全に仕上がったわけじゃないが(間違いなく見直しが入る)、
どういう形であれ完成したものを見るというのはいいものだ。
ここから先はすんなり行くだろう。
話は変わって、私たちのFolding @ Homeチームが250位のラインを超え、この記事を書いている時点で247位に達した。
みんなおめでとう。
お祝いに、Moekkiが描いた「畳んでいる」笑美のスケッチをどうぞ。
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