2012年1月11日水曜日

追憶シリーズ(3):「かたわ少女」の長い歴史:その2




Act1(以下、体験版)をリリースしたとき、主に後の世代の為にプロジェクトの歴史を記すことにした。私はRAITA氏の絵が4chanに投稿されてから体験版が出るまでに起こった全ての事柄を、一つの長い長い記事に書き上げた。それはやりがいのあることのように感じられたし、ブログの記事もその後数え切れないほど言及された。始める前からすでに恐ろしい気分になっているが、これからかたわ少女プロジェクトの物語の後半を語ろう。

では体験版リリース後の、2009年4月30日に戻ってみよう。

体験版のリリースは大反響を引き起こした。私たちの誰もが予想もしていなかったことだったので、その非常に大きな評判と圧倒的に好意的な反応に私たちは虚をつかれた。KSは4chan、あるいは漠然とした関心が生まれるであろういくつかの場所でしか話題にならないと思っていた。だが、それは野火のようにインターネット中に広がった。その後数週間、私たちは反響やその他の経過を追うのに多くの時間を費やし、出来る限りそれらの反応から学ぼうとした。結局のところ、体験版は私たちのアイディアが読者相手ににうまくいくかを見るための試金石だったのだ。私たちはうまくいったことに喜んだ。

リリースの喧騒を乗り越えた後、私たちは仕事に戻った。ゲームを完成させるにはまだかなりの仕事が残っていたのだ。体験版の好意的な反応は私たちの力強い原動力となったが、完成版への期待もまた大きくなった。私たちは絶対に完成版を失望させるものにしたくなかったし、その想いは私たちの内の何人かにストレスを与えた。しかし少なくとも、私たちが正しい道を走っていることは明らかだったので、私たちはただこのまま作業を続けていればよかった。

体験版のリリースから引き起こされた翻訳プロジェクトの氾濫は全く予想していないものだった。人々は体験版を無数の言語に翻訳することを申し出てきた(それらの言語の中には、使う人がほとんどいないものや、話者のほとんどが英語を理解しているものさえあった)。中国語と日本語は最初の主要なプロジェクトで、この二つは私たちが最も密接に関わった翻訳プロジェクトとなった。しかし私たちがこれら全ての翻訳チームを実際に管理/監督できないことは明らかだったので、翻訳版のリリースは私たちが行うという例外を除いて、彼らが自主的かつ自立的に作業をすること、という決定をした。この措置は私の経験では非常にうまくいった。

9月、crudはプロジェクトのアクティブな開発者という立場を退かなくてはいけなかった。華子ルートのスクリプトは完成しており(それは後にほぼ全て書き直したが)、Surikoは様々なプロデューサーとしてのの任務を引き継いだ。それでもこの事態は間が悪いとしか言いようがなく、華子ルートの作業は長い間後回しとなってしまった。私たちは全ルートにかかる重要なゲームスクリプトの書き直しを決めた。その決定の大部分は、野心の高まりと、2007-08年と比べて急激に上達した私たちの技術レベルが原因だった。私たちがより長い時間プロジェクトに打ち込めばプロジェクトはよくなるかもしれないが、その反面、失敗の可能性も増加する。それは周知のリスクだった。5年の間には多くの出来事がチームのメンバー全員に起こったが、私たちは全く予測やコントロールできない様々な困難と戦わなければならなかった。大量の成果物の廃棄は大きなリスクで、私たちは体験版での最終的な書き直しのときと同じく真剣に議論した。

12月、中国語訳が完成し、Act1V2がリリースされた。2009年はとても生産的な上半期と酷く迷走した下半期を経て2010年へと移った。

完成版に必要となる莫大な量の作品を作るアクティブな作家が充分にいるとは言えなかったので、私たちは2010年始めに笑美のCG担当としてPimmyをヘッドハンティングした。実際、当時は圧倒的な量の仕事をこなすには常に人手不足だったかもしれないが、新しい仲間を4LSに迎えると扱い難く、酔っ払いのように邪魔でさえあった。私たちはすでにそういう段階に達していたので、破滅的なことが何も起こらないならば私たちは今いる仲間たちだけでなんとかすることができた。監督者・絵師・作家間での伝達の困難のおかげで多数の問題が生まれ、そのほとんどは数多くの余分な絵を描かなければならなかった絵師に降り掛かった。

体験版がリリースされたほぼ1年後に、日本語訳が完成し、笑美と優子のデザイン変更とともにAct1 V3としてリリースされた。一ヵ月後にはフランス語訳(Act1 v4)も続いた。その夏、crudとSurikoはオーストラリアのアニメコンベンションにおいてKSのパネルを行った。それはとても刺激的で、私たちがそういったことを体験した最初の(そして現在まで唯一の)機会だった。

このころ、4LSのメンバーリストに最後の変更があった。。Mike Inel がアニメーターとして7月に4LSに加わり、Blue123は9月に辞め、、climaticは11月に現役を退いた(二人とも長い間活動していなかったが)。私たちは全ての仕事に辟易し始めていたが、一方で進捗は安定していて、プロジェクト開始以来始めて、私たちは前方にぼんやりとゴールを見ることができた。全体として、2010年夏以降の4LSは恐らく今までで最も精力的だった。私たちは何をやるべきかわかっていて、深刻な手戻りはほとんど無く、進捗のマイルストーンを次々と達成し続けていた。ゲームが完成することに疑いは無かった。それは確実に起こることだった。残った問いは、いつまでかかるのか、そしてどこまでがんばり続けられるか、ということだった。

再び年が変わり、プロジェクトの4回目の記念日。私たちは年内にゲームを出そうと決めた。とても現実的なゴールだったが、結果として4日ほど遅れることになった。

体験版のリリースが二周年を迎えようとしたころ、全ての翻訳プロジェクトが完了した。ハンガリー語、ロシア語、ドイツ語だ。これらの翻訳チームは本当に粘り強かった。私は彼らを賞賛する。彼らの労働の成果たるAct1 v5は体験版最後のバージョンとなった。私たちがまだ完成版をリリースしていないことに不満だったのだろうか、日本語訳チームは各種イベントに参加することに決めた。その中にはコミティアやコミケットのような著名なものもあった。これは本当に冴えてると私たちは考え、会場配布限定のイラスト同人誌でイベントを祝った。

残念なことに私はアクティブな開発者としての立場をしばらく休まなければいけなかったが、徐々にやるべきことは減っていった。秋の狂奔は十二月のβテストで最高潮をむかえ、その勢いは皆を狂ったように作業させた。リリースの日は決定し、私たちを止められるものは何もなかった。完成版はリリースされようとしていた。

新年になり1月4日がやってきた。準備はできていた。5年もの間この日を待った。全てのライトは青く光り、あらゆるタスクは作業済み、正気の沙汰ではない量の仕事、あれだけの血と汗と涙(文字通りこの3つ)の結末が、今起きようとしていた。そしてそれは起きた。

この日まで5年。

長い時間、長い物語だ。ここに書いたことは今まで歩いてきた道の上で起こったことのごく一部だが、ひょっとすると私たちの足跡は道ではなく絵のようなものを描いていたのかもしれない。私たちはこの絵を振り返り、あの熱狂を思い出すことができる。こんなことをした理由(あるいは、同じことを繰り返すべき/繰り返してはいけない理由)を思い起こすことができる。私たちは何か特別なものを作ろうとしたが、本当に特別なのはこれまでに起こった全てのことだ。とはいえ、KSは(願わくは)これからゲームをプレイする人々の記憶に将来にわたって残る一方で、ゲームがリリースされたちょうど同じ瞬間に私たちは最後のゴールに到達したのだ。私たちの目標は達せられた。この物語にはもはや続きはない。

これでこのプロジェクトの物語は終わりだ。全て終わり。ここまで読んでくれてありがとう。

-Aura

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