まだみんなが毎日このブログをチェックしてくれているのというのに、最近誰も記事を書いていないので、みんなが心待ちにしているであろう記事を書いて、笑える進捗報告としたい。
5つのルートのうち、2つは第二稿が書き終えられ、他のライターや編集から細かい批評が入った。それらにはライターが少し加筆してから、編集段階で長々といじり回していくことになるだろう。
3つ目のルートは第二稿の完成に向けて順調に進んでいる。そして4つ目もペースが上がり始めている。
アートの面ではいくつかのCGが新たに描き上がったが、多くのCG担当が試験機関に突入するので、12月まではペースが落ちることが予測される。うまくいけば、学業の足かせが外されたとき、そこから反動的にペースが上がるかもしれない。
もっとここに書ければ良かったのだが、実際、進展はせいぜいこの程度だ。もちろん、私たちにとってはずっと劇的な進展だ。ここで『ルート二つ分書き上がった』と言うのは簡単だが、しかしそれは私たちにとっては20万語分ほどキーボードをぶっ叩いたのに相当する。
お粗末なくらい短くなってしまったので、私がこの前の晩に気付いたことについて書こう。
不測の事態がいろいろあって、私はプロジェクトそのものから3週間ほど離れていた。私が戻った時には、レビュー待ちのシーンが多数と、そして私が書いた2、3のシーンにコメントが付いていた。
私たちが(とりわけ最初の草稿に対して)内部的に感じた最大の不満は、久夫にあまり存在感がないことだ。私たちは薬を飲む久夫や、その副作用(私たちが『久夫が悪夢を見るシーン』をどれだけ没にしてきたことか、皆さんは信じられないだろう)などについてどの程度描写するのかを議論してきた。
また、久夫の人物像をもっとプレイヤー自身のそれを反映したものにしようという試みもあった。一時、Act1における内容として『あなたは山久学園へのドアをくぐろうとしている。どんな気分がする?』というものがあったが、これは今までにないくらいひどい失敗に終わった。そういうわけで、あなたは自分で自己紹介をするか、あるいは武藤に紹介してもらうかを選ぶようになっている。
しかし、この新たなシーンの数々によって、すべてが変わってしまったようだった。私が書いたシーンに寄せられたコメントの一つは『久夫を書き過ぎ——お前は華子ルートを書いているのであって、久夫ルートではないだろう?』というものだった。自分も他のシーンをレビューしていて似たような印象を持った。久夫はもはやプレイヤーの精神に取り付けられただけのちんこなどではない。彼は一人のキャラクターなのだ。それだけでなく、久夫は基礎的な部分
共通しているが、ルートに応じて異なる人格となっていた。
ともかく、開発の中で『久夫』から一人の個性が——少なくとも部分的に——形作られたというのは面白いことだと思った。
あるいは、睡眠とKS分の不足による錯覚か。どちらももっともらしく思える。
今日のブログアートはDoomfestより(少し遅ったかもしれないが)。
- Crud
進捗中の裏話、なぜこうなったのかという経過がとても興味深く面白いですね。ブログの日本語訳、楽しみにしています。(ちなみに本編の日本語訳の状況の方もw)
返信削除スタッフの方の、勉学の方も無事に終わるように祈っています。これからもがんばってくださいな。